介護ロングステイ8年3ヶ月
■ちょっと熱を出した
タイに来て8年3ヶ月経った。母の日常は全く変わりがない。4月の初めに寒暖の差が20度以上もある日が続いた。こういった気候では風邪をひく人が多くなる。母も少し熱が出たようだ。というのはブアさんがママさん、熱があると言って薬を取りに来たからだ。自分の部屋のサイドテーブルの上には熱さまし、風邪薬、止瀉薬、胃薬、咳止めなどが置いてある。自由に持って行っていいことになっているのでニイさんが時々二日酔いの薬をもらいに来る。熱さましはパラセタモール(アセトアミノフェン)、これをブアさんが持っていった。日本ではアセトアミノフェン300售淪の錠剤が1錠80円相当で販売されているが、タイでは500售淪で1錠3円ほど。
弟夫婦は毎朝来て、ベッドの母に寄り添ってご機嫌伺いをする。そういえばちょっと体が熱かったとのこと。でもパラセタモールが効いたのか、1日で元に戻った。兄や弟夫婦に比べ、自分はあまり母の横に行かない。兄弟の中では一番親不孝ということになるかもしれないが、毎朝、ブアさんから夜中の様子を聞かされるので、状況は把握しているつもりだ。ママさんは夜中、ずっと目を覚ましていて時々、大声を上げていたので眠れなかった、といった苦情があった日の午前中はずっと寝ている。認知症になると寝ている時間が長くなるそうだ。でも朝昼晩の3度の食事はちゃんと摂っているし、ゆっくり休めるのであればそれに越したことはないのかもしれない。
■若えもんはいいなぁー
ソンクラン前は気温があまり上がらず、水掛け祭りも盛り上がらないのでは、と思っていたが、10日あたりから急に気温が高くなってきたし、チェンライのスーパー、ビッグCの店員さんが全員花柄のアロハシャツに着替え、気分が盛り上がってきた。まあ日中35度以上にならないと気分が乗らないのであるが、ソンクラン期間中は毎日降雨があり、日によっては肌寒さを感じるほどだった。気温が30度くらいだと寒くていけない。。
14日の午後に車に乗って市内を視察したが、タンクを乗せたピックアップが行き交い、車から道路から水が盛んに飛んできて、いつもながらの水掛けだった。バイクに乗ったファランが手を振って「ノー、ノー」と制止していたが、遠慮なく頭から水が浴びせられていた。掛ける方は昼酒で出来上がっているのだから、多少の制止など聞くはずがない。3人乗りバイクで女高生がやってくる。これは水を掛けてちょうだいと言っているのと同じ。バケツを持った男の子たちが寄ってきて、お望み通りの水掛け。若い人は何をしても楽しそうである。
学生の頃、新橋演舞場で新派の芝居を見た。安井昌二と水谷八重子が手に手を取って小舟に乗り移る。恋の逃避行だ。それを見ている船頭、大矢市次郎が思わず呟く。「若えもんはいいなぁー」。今、チェンライの水掛祭りを見て自分が呟く。「若えもんはいいなぁー」。
新橋演舞場の1階最後列は誰も坐らない、関係者のために空けてある、と教えてくれたのは母だった。更にどうせ満席にならないのだから、最後列でなくてもいい席に座っても構わない、もし、「そこ、私の席ですけど」という人が来たら、ひとつ横の席に移ればいいのよ、と言った。母はこれに限らず結構大胆なことを言い、それを子供に使嗾するところがあった。自分は親の言うことは素直に聞く子であったので、いつもいい席に移って芝居を見た。新派、新国劇、松竹新喜劇など芝居の面白さは母に教えてもらったようなものだ。安井、水谷の芝居は、川口松太郎原作の「風流深川唄」であることをネット検索で知った。半世紀ぶりに演目名を思い出した次第。20年も前だったら母が即座に演目名を教えてくれただろう。まあ考えても仕方ないことではある。
■食べ過ぎの傾向
弟夫婦がソンクラン前に帰国した。弟の嫁さんがいつも日本食を作ってくれるので感謝して食べていた。食べ過ぎで太るかと心配していたが、酒を極力控え、また週5日のテニスで汗をかいているせいか、体重はほぼ同じで推移した。今はブアさんの作る肉野菜炒め中心のおかず、市場で買ってくる辛い鳥モツ炒めとか、ナマズの甘酢あんかけなども食卓に上る。ご飯ができました、と階下からブアさんが呼ぶので、食卓に坐って取りあえずビール、でもタイミングが悪く、ついつい酒が先行してしまって、白飯が炊き上がるころにはもうお腹一杯ということもある。でもブアさんが不機嫌になるので無理して食べる。母と同じお粥とバナナに切り替えれば健康的だし、手がかからずブアさんも喜ぶと思うが。
4月14日、ソンクランのチェンライ市内