チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ7年8ヵ月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

介護ロングステイ7年8ヵ月

■風邪を引いた
母は今月で91歳になった。チェンライに来て最初の誕生日、84歳の頃は少し回復したようで家の中を歩くようになっていたし、シルブリン病院の医師に手を合わせて「先生、いつもいつもありがとうございます」とお礼を言っていた。
意思の疎通ができなくなったのは4年ほど前からだっただろうか。その頃からほぼ寝たきりになっている。ここ何年か全く変わらない日常だから、自分では母の体調も変わらないと考えていた。でも2ヶ月おきに当地にやってくる弟から見るとやはり次第に衰えているらしい。少しずつ小さくなっている。声に元気が無くなったなどという。

9月は雨が多かった。陽が差せば気温30度以上になるのだが、雨雲が空を覆っていると日中でも30度までは上がらない。30度以下は大層涼しい。それに朝は22-23度に下がる。これは涼しいを通り越して寒いに属する。ブアさんやニイさんが小まめにタオルケットや毛布を掛けたり剥がしたりして気を使ってくれるのだが、ちょっとしたことで母は風邪をひいてしまった。と言ってもそれほどひどいものではなく、咳が2,3日続き、熱が少し出た程度。食欲はあったのでそれほど心配はしなかったがもう年である。体力が落ちたのか、褥瘡の前触れのように、腰のあたりの皮膚が青黒く変色していた。

ブアさんは「ママさん、ケンレーン(健康)、100歳までは絶対大丈夫」と言っていたが、この度の風邪ひきで、やっぱり来年くらいに逝っちゃうかも、などと心配し始めた。ニイさんも少なくとも95までは母が生きるという前提で生活設計を立てている。来年ラオスに戻るとなるとお金がかかるし、ママさんの代わりに、しばらく兄の世話をして暮らそうか、などと言い出した。因みに兄にはまだ認知症の兆候は出ていない。

ともあれブアさんから、今後ママさんに何が起こるかわからないから長期の旅行は慎むように、とのお達しがあった。

■鼓腹撃壌
もし、チェンライに来ないで、あのまま日本にいたら間違いなく母は、享年83歳ということになっていただろう。そう思えば7年8ヵ月、よく頑張っている。よくブアさんが、ママさんが死んだら泣く?などと聞くが、これだけ長生きしたのだから満足と思うべきだ。
介護は、食事、トイレ、体の清潔保持の3つが主たる仕事内容だ。母の場合、夜中の紙パンツ交換を含め、通常の介護作業はブアさんたちがこなしている。介護ロングステイと言いながら、自分は殆ど介護作業にタッチしていない。時折、母の手を取って話しかけるくらい。以前は、お母さん、今年で86歳になったんだよ、という度に、えっ、と驚きの反応があったが、今は話しかけてもはかばかしい反応はない。

そんな母であるが、子供としては生きていてくれるだけで有り難い。介護らしいことは何もしていないが、自分が毎日テニスをし、好き勝手なブログを書き、時には旅行に行ける、鼓腹撃壌の日々を送っているのは母のお陰ではないか、と思う。母のお陰で今のチェンライでの生活がある、は弟夫婦に言われて気が付いた。年を取っても兄弟仲良く暮しなさい、と言葉に出しては言わなかったが、母の本心であることは間違いない。2カ月毎に弟夫婦がチェンライに来て、夫婦がいる間はみんなで毎晩食卓を囲む。同じ部屋で母が寝ていて、時折声を上げる。どーしたの、大丈夫だよ、と声をかけてビールを飲む。料理は弟の嫁さんが腕を振るった和食だ。悪いなあと思いながら嬉しくて仕方がない。トシを取ると食べるだけが楽しみなのです。弟の嫁さんにこれほど感謝している義兄も世の中にそれほど多くないだろう。

■高齢者虐待
介護記録といった本やブログ記事には凄絶としか言いようのない体験もある。
以下は2015年2月6日の産経から。

「介護に疲れ…」 高齢者虐待、7年連続で最多更新 認知症患者8割超

特別養護老人ホームなどの介護施設で平成25年度、職員による高齢者への虐待が確認されたのは前年度比で約43%増の221件で、7年連続で過去最多を更新したことが6日、厚生労働省の調べで分かった。被害者の8割超が認知症だった。家族や親族による高齢者への虐待も1万5731件と3年ぶりに増加。厚労省は「職員による認知症への理解不足があるほか、家庭では1人で介護している状況での虐待が目立つ」と分析している。

施設では221件、家庭では1万5千件以上の虐待。8年前を思うと自分たちが1万5千件の仲間入りをしていたとしてもおかしくない。母を始め「介護疲れ・介護ストレス」のない生活を用意してくれたすべての人に感謝したい。




写真はチェンライ郊外のシンハパークより