チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

チェンライ発の海外旅行 10(結婚披露宴)

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チェンライ発の海外旅行 10(結婚披露宴)

結婚式の翌日が写真撮影と披露宴の日だった。本来、午前の結婚式に引き続いて午後に披露宴が開かれるのであるが、遠路はるばるやってきた新郎側ゲストのために式と披露宴を2日に分けてくれたそうだ。この日は一時半にホテルに集合。新郎はホテル玄関に横付けされた長さ10メートルはあろうかというリムジンに乗り込む。リムジンはウズの新婚さん必須アイテムだ。リムジンに限らずウズの結婚式はすべて手順が決まっている。

日本では洋館や船を借り切って、心に残る結婚披露宴をプロデュースする、あるいは2次会をイベントで盛り上げるというビジネスがあるが、ウズベクではどうかな、とバンクカレッジの生徒に問いかけたことがあったが、反応は鈍かった。親が結婚相手を選び、親の言うことに従えば間違いはありませんから、という国ではしきたりに外れることは犯罪とは言えないまでも、とんでもないことに属するのだろう。

Mさんは結婚の許しを得るべく親戚を説得し、両親の働いているモスクワにまで出向いた。ウズは外国人をスパイとみなす国である。Mさんはウズベク当局から、年間4回ウズに入国しているのでもう観光ビザは出せない、といわれたそうだ。何とか親族招待ビザを発行してもらって入国できたのであるが、一時は花婿がいない結婚式になる恐れもあったのである。Mさん、グルシャンの苦労は推して知るべし、だ。

さて、グルシャンの家に迎えにいってみると、新婦は真っ白なウェディングドレス、前日の金糸、銀糸の刺繍地を主体とした民族衣装とはまた違って美しい。前日はウズベクの伝統に従って古式床しく、今日は西欧式に明るく華やかに、という感じだ。二人を乗せたリムジンと我々のミニバスは、サマルカンド戦没者慰霊公園へ。ウズの新婚さんは戸外の絵になる場所で記念写真を撮るのが通例だ。タシケントなら独立記念公園、ヒバはイチャンカラ、シャブリサーブスならアク・サライ公園が新婚さん御用達となっている。お日柄のいいラマダーン明けの休日など数十組の新婚さんで順番待ちとなる。

公園で何枚かポーズを取りながら写真撮影をしたあと、今度は写真屋さんのスタジオに行って友人と、あるいは親族一同と、といった集合写真を撮る。写真は何枚かのコピーと共に原板というか電子データをくれるそうだ。それ以上写真がいるなら自分でやってね、ということらしいが、日本では結婚写真を親戚中にばら撒くと費用は十万円単位になると思う。著作権意識が希薄な国ではあるが、こういったところはおおらかでよろしい。

ホテルに戻って披露宴が行なわれたのであるが、会場に楽団が到着するまで、新郎新婦はリムジンの中に閉じ込められたままだった。この日は50度近い気温で、リムジンは、見た目はいいもののクーラーが無く、車内は炎熱地獄だったと後で聞いた。楽団、歌手、ダンサー、司会者からなる一団がやってきて披露宴が始まった。今回は特にMさんの心遣いで英語通訳がついた。


新郎新婦共通の知人ということで祝辞を頼まれた。
「本日、世界で一番幸せなカップル、ご両家の皆様、そしてご来賓の皆様を前に日本人参列者を代表し、一言お祝いの言葉を述べる機会を頂き、誠に光栄に存じます。
Mさん、おめでとう。あなたは本当に、本当にいい選択をされました。グルシャンさんは若く、美しく、高学歴にして控えめ(ウェル・エデュケイテッド,バット、モデスト)、そして品格ある女性です。グルシャンさん、おめでとう。あなたは本当に、本当にいい選択をされました。

Mさんはウェディングの買い物ではほとんど役立たずでした。また昨夜のサタデーナイト・フィーバーのダンスでもダンスィング・キングではなかった。しかし、私たちは彼が素晴らしい性格を持っていることを知っています。そして彼は今、大学院で教鞭をとる傍ら、理念と情熱を持って重要な仕事に挑戦しています。彼の仕事は日本の、いや世界の経済を元気付け、回復させる可能性を持った価値ある仕事です。グルシャンさん、あなたが、これから妻として、またよきパートナーとしてMさんを助けて下さることを望んでいます。

最後に、アムダリアに河水が流れ続ける限り、お二人の幸せとご両家の繁栄、そしてウズベキスタンと日本との友情が続くことを信じております。有難うございました」


通訳はナフォサットに頼んだ。ウズにいた時のスピーチでは、いつも「アムダリアに水が流れる限り・・」のセリフを彼女が通訳していた。スピーチに進歩がなくて悪かったね、というと、最後は同じでしたが、進歩していましたよ、と褒めてくれた。以前はどうだったのか、ちょっと複雑な気持になる。ともあれ祝辞が終った安堵感でウオッカを飲みすぎた。これが災厄を招くことになる。(まだ続く、あと1回ご辛抱を)