チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

チェンマイは文化都市

サンデーマーケットを歩くファランの家族

どれにしようか、目移りする子

絵を並べている所

お土産用か

お寿司の店、チェンライよりおいしそう

カウパットの露店

 

 

チェンマイは文化都市

チェンマイのナイトマーケット

8月は3回続けて週末にドライブ旅行した。チェンマイに2回、ナーン県のプアに1回である。買い物とか慰霊祭とか理由はあったが、隣県とはいえ泊りがけ旅行はタイに戻ってからは数えるほどしかない。概ね、週日はテニス、土日は家で音楽を聴いたり、ユーチューブを眺めたりの静かな生活だ。退屈かと言われればそうかな、とも思うがこの年になって忙しく動き回るのは事故のもと、などと退嬰的な気持ちになっているのかもしれない。

用があって出かけるにしろ、旅に出ればそれなりの刺激がある。北タイに10年以上住んでいてもまだ行っていない観光名所はたくさんある。ネットで一通り見ているはずだが、実際に訪れてみるとやはり感じるものはある。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずることなきにあらず、だ。

これまで総領事館とか製造元に日本蕎麦を買いに行くとかで、チェンマイで週末を過ごすことがなかった。戦没者慰霊祭が行われたのが8月15日の月曜だったので、前日にチェンマイ入りした。チェンマイにはいくつもナイトマーケットがある。この日は日曜なのでターペー門からワット・プラシンに延びるサンデーマーケットが開かれる。これに行ってみようと思っていた。

チェンマイのナイトマーケットというとピン川に近いチャクラン通りのナイトバザールが有名だ。大小のホテル、ゲストハウスに近く、ピン川沿いには高級レストランが並ぶ。バザールには1キロ以上にわたって露店が並び、お土産物はここで全て揃うというので、ツーリストには人気の場所であった。過去形であるのはまだ観光客が戻っていないからだ。ナイトバザールから旧市街、ターペー門方向へ向かうロイクロー通りにはビヤバーが並び、以前はお姉さんが道路まで出てきてツーリストの手を引っ張っていたものだが、8月に行った時は閉店しているビヤバーも多く、開いている店でもホステスさんの数が少ない。彼女たちもあきらめ顔で自分に「ニーハオ」と気のない挨拶を投げかける程度。

 

■サンデーマーケット

ナイトバザールは年中無休でツーリストには便利、観光客専用といえる。それに引き換え、ターペー門のサンデーマーケットは日曜日の夜だけ。どちらかというとチェンマイ市民のためのマーケットと言われている。

ネットを見ると4時半ころから始まり、6時、7時となると買い物ができないくらいに混みあうとある。4時半に行ってみた。テントや陳列台を組み立てていて、半分くらいしか露店が出ていない。。まだ陽が高く、人出もちらほらだ。たださすが観光都チェンマイファラン(白人)の家族連れが目立つ。乳母車を押しているが、それだけ通路が広く、安心して歩けるということだろう。露店は民族衣装、山岳民族のバッグ、石鹼彫刻と並んで清涼飲料、ケーキ、果物ジュースなど、焼き鳥、ソーセージ、餃子、焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、お寿司など雑多な店がある。またお寺の境内が一種のフードコートになっており、ここで皆、思い思いの食事をとる。

自分もカウパット(タイチャーハン)を買って食べた。飲み物を売っている露店で「ビールはないの」と聞いたが「ここはお寺の境内だからビールはありません」。葷酒 、 山門 に入るを許さず、はタイでは厳格に守られていることを忘れていた。

 

■露店の違い

チェンライにもナイトバザールはあるし、土曜市には時々行く。チェンマイのサンデーマーケットを歩いてみて、同じような露店でありながらチェンライのそれとは何か違うことに気付いた。チェンマイの露店の品物の並べ方が垢抜けている。見た目、きれいですっきりしているのだ。またチェンライにはない風景画や仏画など絵画を売る露店がいくつかあった。売っているところを見るとチェンマイでは絵を買う人がいるのだろう。露店のセンスの良さ、品揃えから見て、チェンマイはチェンライよりもかなり文化度が高いのではないかと思った。

これで、チェンマイからバンコクに行けば、更に店も歩く人も垢抜けてくるのだろう。バンコクから東京に行けば文化度はさらに跳ね上がる。そういえば東京での1年8カ月、心が躍動するような経験がいくつもあった。自分から九州や四国、京都を旅した。求めればワクワクするようなイベントはいくらでもあったように思う。

チェンライで毎日テニスをし、ネットを眺めて退屈していない毎日だ、と強弁してもやはり田舎の侘び住まい、読書もせず映画も見ず、我が風体、風貌は北タイの村夫子然としたものになっているに違いない。