チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

気力・体力・知力

 

チェンマイ国立博物館から

同上

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気力・体力・知力

■まずは体力

曽野綾子さんは、「人は、一度に死ぬのではない。機能が少しずつ死んでいるのである」と書いている。年を取ってくるとその通りだなあ、と思う。先ず、歯が悪くなる、次に目が悪くなって読書が苦痛になってくる、異性を相手に、は、苦痛ではないがチャンスがない。いや、チャンスがあっても若い時のようには行かないだろう。俗にいう「ハメマラ」だ。動物なら歯がダメになった時点で餌が取れなくなるからそこで死んでしまう。人間は入れ歯、メガネ、精力剤などがあって、命は長らえることができる。でもそれも永久に続くわけではない。体中の機能が次第に衰えて終末が来る。

自分も年相応に体力の衰えを感じる。週5日のテニスは続けているが、10年前ならば追いつけた球に半歩及ばない。相手のサーブを受けるとき、相手の球がネットに引っかかってから体が動き出す。1秒とは言わないが、球に対する反応が少なくとも0.5秒は遅くなっている。プロなら致命的だ。年貢の納め時もそれほど先ではない。

旅に出る気力がわかない、と書いた。気力は体力と関係している。体力が衰えると気力も萎えてくる。気力が充分でなければ判断力も落ちる。果断な決断はできない。先延ばし、安全策に靡きがちだ。旅は少し気候がよくなってから、スクータは事故が怖い、これは体力の衰えと関係しているのかもしれない。高名な経営者は重要な経営判断を下すにあたって、今の健康状態はどうか、を自問自答するという。歯が1本痛いだけでも人は正常な判断を下すことができない。気力、判断力は健康な体に宿る、か。

 

■知力

体力がなくなると知力も落ちる。本を読んでも頭に入らない、人に会って刺激を受けようという気にもならない。精力的にブログを更新していた人が、ふっつりとブログを休止する。同じことばかり書いて、いくらか自己嫌悪を感じているところに「繰り返しで読む気にならない」といったコメントを書かれる。それでやる気をなくしてブログをやめるといったケースが多いと聞く。知力が薄れ、ネタが切れる、気力もその源である体力も無くなる、興味は自分の病気だけ、となれば多少なりとも頭を使って書くことが億劫になると思う。

ブロガーを卒業することは、それで生計を立てていない限り何も問題はない。もう私は疲れ切ってしまって書けません、何卒お許しください。こんなことを書いてブログをやめる日も遠くない。ブロガーは二度死ぬ、一度はブログをやめた時、二度目は本当にこの世を去る時である。2度死のうが3度死のうが、誰にも迷惑は掛からない。幾ばくかの葬儀費を用意してあるし、自分の気楽な点はここにある。

 

■直感とストレス

自殺する小説家が多いのは、やはり体力、気力、知力において限界を感じるからだろう。書けなくなる、はブロガーと違って、小説家にとっては自分のすべてが失われるということだ。三島由紀夫川端康成は生まれ変わったら絵描きになりたいと言っていたとか。梅原龍三郎安井曽太郎などの画家も生まれ変わるなら絵描き、と言っている。

横尾忠則さんは文章を書くにあたって、出だしをどうしようとか、流れはどうか、などと歩きながらでも考えているという。だが、絵に関しては何も考えない、キャンバスを前にして初めて、ここに線を一本、色はこれ、とイメージが湧いてくる。つまり、絵は直感の世界で、描くことに何もストレスを感じない。つまり描けないことはない、逆に完成した絵はない。横尾さんにとって、絵とはおかずをたくさん残した食事のようなものだそうだ。

絵描きが長生きするのは要するに「考えない」からだという。スポーツマンも考えない職業かもしれないが、絵描きと違って勝ち負けがあって、その結果によって引退の時期もある。絵描きには勝ち負けはもちろん、本来は儲かる、儲からないも考えていないのではないか。

ピカソシャガール、キリコ、ミロ、ダリなどの絵描きはみな長生きしているのは心がからっぽの状態で仕事をしたから、という。つまり仕事のストレスがない。それに年をとっても絵は描ける。キリコが90歳になって描いた絵は、線がヨレヨレと曲がっているそうだが、かえってその線の崩れ方が素晴らしいという評価を得ている。

絵を描くのが趣味という職場の先輩がいる。80歳を過ぎても元気に写生旅行に行かれている。溌剌とした老後は絵と共にある。

テニスボールをヨレヨレと追いかければ、みっともないだけでなくストレスを感じる。かといって今から絵を始めるには遅いし、どうしようもないか。