チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ6年9カ月

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介護ロングステイ6年9カ月

■日本から戻りました
3週間の日本滞在を終えて10月27日にチェンライへ戻った。日本では始めの1週間、四国高松の弟夫婦の家に転がり込み、その間、土佐山田に住む友人宅にも一泊した。東京に戻ってからの2週間は連日、友人、知人に会って充実した日々を過ごした。本来お目にかかるべき人からも、またお目にかかった方でももっとお話をうかがっておけばよかったと悔やまれることばかり。しかし限られた日数、時間のため、失礼させて頂いたことをお詫びします。

今回の帰国の印象は、「やはり日本は素晴らしい」の一言に尽きる。街が整然としている。人々の洗練されたマナー、サービス、料理店に置かれた陶器製の七味唐辛子の容器や楊枝入れにまで優雅さが漂う。

スーパーに行けば、美しく陳列された品々が「私を買って下さい」と手を差し伸べる。弁当コーナーではカツ丼や天丼、ちらし寿司、炊き込みご飯から手が伸びてきて自分の手に絡みついてくる。これから会食がある、悪いけど今日は勘弁して、と誘惑を振り払うのにどれだけ勇気が入ったことか。

チェンライで10時から11時までタイ語の個人教授を受けている。ジアップ先生の家を出ると、11時からの生徒、米国人のピーターが待っている。ある時、ピーターが言った。「ヒデキ、この住宅街の道を見て何も思わないか、雑然としてごみも落ちている。俺は日本が、東京が恋しくてたまらない」。彼は日本に住んだことがある。そうお? ボクなんか慣れちゃっているから何とも感じないけどね、と答えた。でも日本の住宅街にはごみ一つなく整然としている。それでいて冷たさはなく、奥ゆかしさ、住む人々の心配りが感じられる。横浜の山の手教会あたり、あるいは国立、船橋、湘南の街並みはすべて美しいと言っていいものだった。

こんなに素晴らしい国をどうして悪しざまに言う日本人がいるのかわからない。そう言う人には暫く外国で、特に彼らが好感を持つお隣の国に住んでみてもらいたい。日本の良さを再認識できるに違いない。


■母の調子
日本で瞠目したことは多々あるが、それはおいおい書いていきたい。日本滞在中、母の調子は全く変わりなし、と兄からメールを貰っていた。昨夜、母に帰宅の挨拶をしたが、眠いのかはかばかしい反応はなかった。

母の意識がはっきりしていれば、母が喜んだであろうことがある。それは高松の弟夫婦が自分より一足先にチェンライに来ていたことだ。弟も退職し、気楽な年金暮らし、1年のうち半年はチェンライで暮らすと言って、我が家の近くにある庭付一戸建てを1年契約で借りた。今、電気製品や家具を購入し、第二の新婚生活を始めようとしている。40年以上を経て、兄弟3人が母のもとで暮らす日々が戻ったことになる。

弟の話では母はさほど嬉しそうではなかったようだが、自分としては大変嬉しい。というのは弟の嫁さんが料理が大変上手で、美味しい和食を次から次へ作ってくれるからだ。この年になると、美味しいものを食べる、楽しみはこれに尽きる。
アカ族の村に草葺きの家を建ててもらい、雑用の小女を雇い、机に坐してペンを走らせる、という生活を夢見たことがある。しかし、アカの村に数日滞在してみて、料理の味付
けは塩だけ、という恐ろしい現実に直面して以来、食の楽しみを犠牲にしてまで余生をアカ村でおくるべきか、と悩んでいる。
弟夫婦のお陰で母の食事のレパートリーが増えることだろう。もう自分の希望をはっきり伝えられないだけに、少しでも美味しいものを食べてもらいたいと思う。

■思い出話
日本に帰ると近所のおばさんが、ごみの収集日の情報を知らせてくれ、時にはおかずなどを届けてくれる。下町の良さだろう。母と同年輩か少し下、という年配の方が多く、母の思い出話をしてくれる。小公園に植える木が母の意見で桜に決まり、今でも春になると母のお陰で花見ができると町内の人が喜んでいるとか、母がもう着る機会もないからと、服やショールを呉れたこと、また、年を取って、もう重いハンドバッグは持ち歩けなくなったから、と外国製の素敵なバッグを貰った、とか・・・ そのハンドバッグは自分が母にプレゼントしたもの、という。

そう言えばイタリアのフィレンツェに出張した折、革製のしっかりしたハンドバッグを見つけた。デザインの良さ、褐色の皮の美しさに見とれていたら、黒髪の30代の女性が、そのバッグは私が作りました、と微笑んだ。バッグと女性の魅力に負けて、思わず購入したのだった。
お母さんの好意を今でも感謝しているって、と母に伝えたいが悲しいことにもうそのすべはない。





写真は上2枚が横浜山の手通り、その下は赤坂の夜、あとは深大寺鶴岡八幡宮