チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

大使との懇談会

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大使、SV(シニアランティア)懇談会

タイの35千人、シンガポールの26千人には遠く及ばないが、ここウズベキスタンには136人の在留邦人がいる。
こじんまりとしているので日本人同士のつながりが強いような気がする。巷間、他国で伝わっているような不親切、不愉快な応対を大使館から受けたという経験はないし、聞いたこともない。それどころか現在の楠本大使は、大学、カレッジ、日本センターの講演、各種会合への出席を精力的にこなされているので、あちこちでお目にかかったり、言葉を交わしたりする機会がある。館員と各種会合で顔を合わせることも度々だ。日本国大使館が身近に感じられる国である。

先日、大使公邸にSV総勢10名がご招待を受けた。懇談会でお聞きした大使、先輩SVのお話は、援助とは何か、国益とは何かという基本的な問題を考えるうえで大変興味深いものだった。

日本は中央アジアを第2のアセアンに作り上げようと多額のODAを注ぎ込んできた。その中で一番多く援助を日本から得ている国はウズベキスタンである。1991年の独立以来14年、日本がウ国に供与した援助は総額1200億円にも上る。今でも2国間援助額では日本が第一位にくる。ウ国は日本に対して歴史的な軋轢、経済的競合がない。また日本の情報がないのに妙に親日的だ。日本の国連、安保常任理事国入り問題で、各国に先駆けて日本の提案に賛成してくれたのはウズベクである。
白タクに乗れば日本はハイテクの国ですごいとか必ず聞かされる。地下鉄の駅ではたびたび警官に呼び止められ、身分証明書の提示を求められるが、日本人とわかると「アイム・ソーリー」といて最敬礼してくれる。ウ国のエリート高校、東洋語学大学付属高の入試倍率は20倍、100人の合格者のうち日本語学習者は半数を超える。9つの大学で2000人の学生が日本語を学んでいる。

しかし、昨年5月のアンディジャン事件(フェルガナ地方で起こった反政府デモ、西側発表では一夜で1000人もの一般市民が犠牲になったといわれている)で、この国の暗い面が露呈された。以来、米国とは人権問題で絶交状態になっているし、EU諸国も米国に同調してウ国に冷淡だ。実はブッシュのイラク侵攻をイスラム国家として真っ先に承認したのがウ国であり、米軍部隊のウ国駐留まで認めていた。その米軍は両国の関係悪化に伴い昨年にウ国を追い出されている。米国にとっては憎さ百倍というところだろう。
欧米諸国との関係が冷却化する中で、日本に熱い目が注がれている。もっと援助を、もっと経済関係強化を、とお題目のように2国間協議の中で言ってくる。しかし、日本とてODA予算は削られる、ウ国から買うものがない、欧米諸国からはどうしてこんな独裁国と付き合っているのかと見られている中で、どうやって関係を構築し、国益を考えていけばいいのか悩むところである。

この国では言論の自由はない。新聞は政府からもらった原稿をそのまま載せるだけである。博士号は文部省(つまりお役所)から授与される。大学の先生のレベルと給料はきわめて低く、やる気はない。技術移転したくても技術がわかる先生がいない。高等教育のハード(建物)はあるがソフト(教育内容)はお粗末の一言に尽きる。また理科系大学、学部が少なく、第2次産業育成に熱意が感じられない。
1次産業従事者の所得が低く、生産物の価格が政府により低く決められているため、増産、品種改良のインセンティブが働かない。大学の卒業生から官庁勤めは敬遠されている。卒業生は給料の高い外資系会社に行きたがるが、就職率は5割程度。その外資も合弁を解消してどんどん国外へ逃げ出している。学生、技術者、芸術家、有能な人から国外に出て行く。失業率は40%。むなしいのはこの国の発展のプロセス描けないということだ。

先日、オイベックの高級住宅地で、カリモフ大統領の娘が建築中という豪邸を見た。カリモフ一族は複数の豪邸を持っているがそのうちの一つだ。建築中ではあったがすでに3メートルもある塀に囲まれている。塀だけ見たら刑務所ではないかと思うところだ。貧富の格差はますます開いており、確実に社会不安は高まっている。 美味しい日本料理と久しぶりの日本酒をご馳走になりながら、話は重苦しくなりがちだった。

来年4月からシルクロード第2弾として、フェルガナ、サマルカンド、ブハラ、ヒバ等がNHKで放映されるとのこと。もう撮影は終わっているらしい。放映されれば、シルクロードブームが起き、これまで年間3000人といわれている日本人旅行者が激増するかもしれない。また欧米関係冷却化を逆にビジネスチャンスと見て、韓国のウ国進出機運が高まっている。韓国企業進出によってビジネス環境整備が期待される。ひいては日本企業誘致にも有利に働くであろう。他にも日本の草の根無償援助の成功例などが紹介され、いくらか明るい気分になって公邸を辞した。「がんばっても報われない社会」(2006年5月25日・17号)、ウ国で続けられている日本の努力がいつか実を結ぶことを信じたい。