チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

杜の都タシケント

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杜の都タシケント

ウズベキスタンの首都はタシケントである。タシケントとは「石の町」という意味だそうだ。だからウ国に来る前は、タシケントには石がごろごろしているのだろうか、石造りの家が立ち並ぶ砂漠の都市なのだろうか、などと想像していた。ところが、タシケントは一抱えもある街路樹が連なり、道路の中央分離帯が広い緑地帯になっていてベンチや花壇まである。タシケントは緑豊かな杜の都だ。街路樹と街路樹の間、また車道から建物の間が花壇になっており、花や芝生が植えられている。

大陸性気候であるので、5月には日中30度を超え、湿度は10%くらいになる。これではカラカラになるだろうと思われるが、タシケントには豊富な地下水がある。一定の時間になると係員がバルブをまわして街路樹や花壇、緑地帯にふんだんに水を遣る。大通りの緑地帯にはすべてこの配管が通っている。あまりにも水が出すぎて、田植えができるくらいに緑地帯が水没していることもある。
パイプから出てくる水に触ってみたが確かに冷たい。地下水に間違いない。1日でも水遣りを忘れると乾燥度の高いこの町では、緑はあっという間に枯葉色に変わってしまうだろう。緑を維持するために相当の努力と労力が費やされていることがわかる。

また一般の住宅も道路から家まで15メートルくらいあって、その間に樹木やバラ、デージーなどの草花、家によっては農作物を植えている。樹木もポプラ、プラタナス、桑、マロニエさくらんぼの木、胡桃、イチジクなど。
以前、ボランティアガイドをしてくれた東洋語学大学の学生に街路樹の名前を聞いたことがある。きれいな花が咲いている木でも「あれは食べられない実が生ります。」といって彼らの木の分類の仕方が「食べられる」、「食べられない」の2つになっていることを発見した。確かにこちらの木は果物がなる木が多い。

本日は休みだったので歩いて30分くらいのところにあるザイヌディン・ボボ・モスクに行ってみた。旧市街の住宅地を歩いていく。道いっぱいに桑の実が落ちているところがある。枝に手を伸ばしてほのかに甘い実を食べる。さくらんぼの木もある。これも1,2個頂戴する。日陰作りをかねて、ぶどうの枝を2階の屋根まではわしている家もある。
ポプラの大木もある。乾燥した爽やかな風、青い空にそびえるポプラは北海道大学のそれを思わせる。胡桃も実をつけている。この木は梨だろうか、などと上ばかり見て歩いていたら、道のくぼみで右足首がギクッとイナバウアー状態になった。あっ、これで車椅子で帰国か、と一瞬暗い予感が脳裏をよぎったが、幸い大事無かった。「発展途上国の道は平坦ではない」、ということを、身をもって体験。歩道に大きな穴があいているし、突然舗装が途切れる。顔を道路に打ち付けて、お岩さんのように腫れ上がった邦人がいる。途上国では単なる散歩にもそれなりの緊張感が必要だ。

住宅の入り口は狭い。入り口から覗き込むと広い中庭がみえる。そこにテーブルや椅子がおいてある。雨の少ないタシケントでは中庭で食事をするのだろう。旧市街には昔からタシケントに住んでいる人が多い。東京の神田、浅草といったところだろうか。
住民のほとんどがモスレムだ。年配の男性はデュッペあるいはカルポフと呼ばれる丸いイスラム帽を被っている。女性は手首、足首まで隠れるぞろりとしたワンピースを着て、頭にルモールというスカーフを巻いている。人によってはルモールをあごで結び、「おこそ頭巾」のようにしている女性も、たまには「怪傑黒頭巾」のように目だけ出しているという女性もいる。オイベックなどタシケント市中心街に行くと、ノースリーブ、へそ出しルックの若い女性が闊歩しているが、このあたりにはそのようなはしたない格好の女性は一人も見当たらない。オジサンとしてはちょっと残念だが、いかにもイスラムの国にいるのだ、という気持ちを新たにできる。

モスクの前には清流とまではいえないが、澄んだ水の流れる用水路があった、水草が流れに揺れている。よく見ると水草の間をクチボソみたいな魚が群れをなして泳いでいた。

こちらのモスクは自分のような外国人でも自由に入れる。モスク内の敷地が墓場になっている。こちらのお墓は墓石に個人の顔を刻んだり、いかにもここに土葬の遺体が埋まっています、とばかりに土饅頭ができていたりして、ちょっと違和感がある。

水を満たしたバケツとバラの花を持って小学生の女の子が通る。家族で墓参りだ。モスク入り口には生花の露店が並んでいる。墓場はお彼岸の中日のような人出だった。これで線香の煙でも漂ってくれば日本の霊園と変わりがない。一家でお墓の草むしりをしたり、お花を供えたり、とイスラム教としてはかなり異質だ。

サウジアラビアの歴代の王、サウド家一族には墓がなく、どこに葬られているかわからないといった話やテレビで見たパレスチナの索漠とした墓地を思い起こし、花と緑に彩られたモスクの墓地でモスレムもひとつではないという当たり前のことを考えていた。