チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

選挙結果と戴冠式

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選挙結果と戴冠式

■各党の議席数決定
タイで総選挙が行われたのは3月24日だった。500の議席のうち、350が選挙区で、150は比例で選ばれることになっていた。5月7日に選挙区350議席(実際は1選挙区で選挙違反のため失格したので349議席)が決定した。比例の150議席はその配分法が不明確で決まっていなかったが、5月8日に比例議席も決まった。タイの政治は現プラユット首相の軍政派とタクシン元首相を中心とした民主派に分かれる。プアタイ、新未来など民主派の7党は選挙から3日後の3月27日、過半数の255議席を獲得し、連立政権を樹立すると発表した。しかし、選挙委が採用した比例代表議席算出方法により、民主派7党の獲得議席数は過半数を下回る245にとどまった。
首班指名は6月になるそうだが、軍政が指名した上院250名も首班指名投票に参加するので、プラユット続投は動かない。総選挙から3ヶ月で何とか首相が選ばれるということだ。

黄シャツと赤シャツの融和ができる見込みはないし、民意、即ち獲得投票数をそのまま政治に反映させれば、2010年の流血の惨事が再来しないとも限らない。あの時は日本人カメラマンが銃弾の直撃を受けて死亡している。
国民同士が殺し合うような(民主的)政治環境よりも力を背景にしたプラユットの軍政のほうがずっとマシだ、と個人的には思っている。総選挙の結果が首班指名に結びつかないとも言えるが、これがタイ式の半民主主義だから、とタイ国民も自覚しているのではないか。

戴冠式との比較
4月30日に「退位礼正殿の儀」並びに翌5月1日には新帝陛下による「即位後朝見の儀」が行われた。タイでも5月4日から6日までワチラロンコン国王の戴冠式が挙行された。その内容を比較するタイ人の声がユーチューブで流れている。その一部をご紹介する。

「豪華にしすぎず時間もかけない。素晴らしい象徴を戴いている。日本人は本当に恵まれていると思う」

「日本の儀式はシンプルだが、信じられないくらいに荘厳だ」

「『憲法にのっとり象徴としての責務を果たす』、天皇陛下のこのお言葉が一番印象的だった」

「新しい天皇陛下は気品がありますね。これまでの経験がそういったオーラを纏わせているんだと思います」

皇后陛下は本当に素敵ね。品格があって、エレガントで、気高い・・・」

天皇には政治的権力は一切ないが、皇室の威厳は、全世界に広まっている」

「日本は超大国であるのに国家元首はあんなにも慎ましい」

ワチラロンコン国王は宝石をちりばめた金色のローズをまとい、重さ7キロの黄金の王冠を被って、臣下の拝礼を受けた。戴冠式に要した費用は約35億円といわれている。戴冠式の模様は国民の休日となった4日から6日の朝から晩までテレビでずっと放映されていた。尚、皇室の「退位礼正殿の儀」並びに「即位後朝見の儀」はそれぞれ10分ほどだった。
タイ国民は皇室を褒め称えることによって、暗に現国王を批判しているとも言える。但し、感想の後に、「それにつけてもタイでは、」と正直に続ければ、多分不敬罪に問われて禁固15年となる。

■前国王が偉すぎた
ワチラロンコン国王は、2016年10月に崩御したプミポン国王のあとを継いで同年12月に即位した。その折、国王が出国する場合、摂政を置くという従来の規定を改め、即位後も皇太子時代からの生活拠点であるドイツに滞在していることが多い。

戴冠式の4日前にタイ陸軍所属のスティダーさんと正式に結婚し、王妃とした。4回目の結婚である。スティダー王妃は40歳で、タイ国際航空の客室乗務員を経て2014年に陸軍に入隊し、当時は皇太子だった国王の護衛部隊の責任者に就任した。異例のスピードで出世し、2019年には陸軍大将の地位にあった。もっとも国王の愛犬、プードルのフイフイは「空軍大将」の称号を持っていたというからタイでは将軍の地位も軽いのかもしれない。

ウィキペディアからの引用。
ワチラロンコンの数少ない外交業務に1987年の訪日がある。この時、妻ではなく愛人を連れて行こうとしたが、外交儀礼に反するという理由で日本政府に拒否されている。日本滞在中、冷遇されたと思いこみ、予定より3日早くタイに帰国した。

プミポン前国王が偉大だっただけに何かと比較されてマイナス評価を受ける傾向はある。皇室礼賛のタイ国民のコメントの中に「タイと日本では歴史が違う。王室のあり方も違う。批判や比較をする前に、歴史を勉強しよう」というものがあった。王室の、また政治のあり方もそうなった歴史がある。「歴史を勉強しよう」は自分に向けられた言葉として受け取りたい。