葬式から3ヶ月
■乾季らしい天候
11月に入ってようやく乾季らしい気候になってきた。最低気温は15,6度、最高気温は30度を下回り、湿度も低く軽井沢高原の爽やかさだ。朝は放射冷却のせいで靄に包まれる。靄に覆われる日は快晴となる。毎年のようにオークパンサーを過ぎたのに雨が降って、などと書いている。旧暦11月の満月の日の「オークパンサー」は、旧暦8月の満月の「カオパンサー」から3か月間、寺にこもって厳しい修行をしていきた僧侶達が修行を終える日で、仏歴上の雨期開けを意味している。今年は10月24日がオークパンサーだったが、やはり10月下旬は結構な雨が降っていた。陰暦12月の満月の日、ロイクラトンを迎えないと本当の乾季は来ないような気がする。今年のロイクラトンは11月22日である。チェンマイでは無数の大型行灯、コムロイが夜空を舞うことだろう。
タイは常夏で年がら年中同じような気候と思われがちだが、そこはかとなく季節の移ろいをお祭りや仏教行事を通して感じることができるようになった。乾季の始まりの頃は陽が陰ってくるとスーと気温が下がり、「風の音にぞ驚かれぬる」の和歌を思い起こすことがある。ハイシーズンとはよく言ったもので、これから2月くらいまでが北タイの旅行シーズンである。ホテル料金が雨季の時に比べ、かなり割高になるが、この季節の旅ならまあ仕方ないかと思える。スコールの心配がないのでツーリングには最適の季節だ。
■喪失感からの立ち直り
母が亡くなって3ヶ月経つ。それほど助けにはなっていなかったが介護からは解放された。さて、季節は良いし、車やスクータで旅に出ようか、時間と多少のお金はあるのだからまだ見ぬ異国へ・・・。でも何か億劫で腰が上がらない。
年に不足はないと分かっていても母を亡くしたことは、息子にとっては悲しいことであった。でもいつまでも悲しんではいられない、母の介護なしの新しい生活へ適応していく必要がある。一般に、人は喪失後のショック状態、故人の事が頭から離れ難い時期を経て、回復期へと向かっていくという。
母が亡くなって2,3日はショック状態で何が何やらわからないうちに骨上げまで済んでしまった。今はそのショック状態に続く「故人の事が頭から離れ難い時期」にあるようだ。その時期の特徴は以下の通り。
•食欲が湧かない
•何をしても楽しくない
•内にこもってしまう
•故人の事ばかり考える
•気分は沈み、怒りが出やすくなる
•不眠
•体が弱く感じられ、疲れ易い
思い当たることはある。でも年寄りなんだから当たり前でしょう、という項目が半分以上だ。今朝も食欲が湧かなかったが、それは昨晩ラオカオを飲みすぎたせいだし、体が弱く感じられ、疲れ易い、は年を考えれば当然のこと。怒りが出やすいのは韓国や中国のせいで、母の死とは関係なさそうだ。
■いつもの暮らしへ
喪失体験から回復するには半年~1年はかかるというが、通常1~2ヶ月後、日常生活は機能し始める。その間、気持ちの落込み、興味が湧かないなどの抑うつ症状は比較的よくあり、これは正常範囲と見なせる。ただ2ヶ月以上も日常生活が機能しない状態が続く時は正常と言えない場合がある。
現在、雨が降らなければテニスコートに行って、腹は立つがニュースをPCで見て、解説も聞いて、ブログの原稿を書いて、とほぼ通常の生活を送っている。酒も食事もおいしい。順調に回復しているというか自分の場合、母の死後10日もしないうちに日常生活が機能していたように思う。
9月には日本に一時帰国したし、10月にはチェンマイなど1泊旅行に2,3度、またクメールの遺跡があるシーテープ歴史公園には3泊4日のドライブ旅行をしている。シーテープには今年3月にスクータで行った。今回は再訪であるが同行のIさんとホンダシティを交代運転したので往復1300キロはあっという間だった。よくこんな道を単独ツーリングしたものだ、半年前はまだ自分も若かったんだな、と思ったくらい。
10月中旬に弟夫婦が来ている。2ヶ月毎の高松、チェンライ交互滞在だ。母はいないが、孫たちを象に乗せてやる日まで、多分あと2年はこの生活を頑張るそうだ。自分としては弟夫婦のお陰でおいしい和食が食べられるので嬉しい。
兄が日本に一時帰国中なので、現在一人暮し。そう言えばここ10年、誰かが家にいて母が一人っきりになることはなかった。ニイさんが休みの日とか、夜に家を出るときには鍵をかける。これもタイでは初めての経験だ。母の死から充分立ち直っているようだから、家に鍵を下ろし、どこか海外に行ってみようと考えている。
写真は我が家のアンチャン、シーテープの歴史公園から