チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

熟年ライダー(最終回)

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熟年ライダー(最終回)

■里心
「タカの渡り」観察の旅も終わりに近づいた。帰るとなると気がはやる。帰心矢の如し、とはよく言ったものだ。天候がいまいちで「もう一泊しますか」などと口では言っていたが、Nさんは奥さんからの「帰れコール」があったため、1日も早く自宅に戻りたいようだった。8日目に宿泊したカンチャナブリからチェンライまでは約780キロ、バイクで11時間かかる。単独行となれば、足手まといのいなくなったNさんならば一気に走破するかもしれない。
二人で空を見上げていたが、小雨は断続的になってきた。それでは出発しましょう。10時過ぎにカンチャナブリを出た。ここから二人が別れるナコンサワンまで227キロ、3時間ちょっとだ。ナコン手前のGSで燃料補給と共に珈琲を飲む。Nさんはやはり朝の珈琲に満足いかなかったらしい。

やがて、二人の別れる1号線と117号線の分岐点に来た。先行するNさんが左手を上げて合図をする。あっけない別れであった。8日間、本当にありがとうございました。

■9、10日目
1日ではとてもチェンライに着けないので、9日目はカンチャナブリから5時間、340キロほど走ったカムペーン・ペッでフォルツァを停めた。ピン川に面したこの街はスコータイ、アユタヤー朝時代の重要な要塞都市で、ここの歴史公園はユネスコ世界遺産に登録されている。何度も訪れているし、道中、少し雨に降られて疲労していたので観光はしなかった。

地球の歩き方」に街一番の高級ホテルと紹介されているペッ・ホテルに宿を取る。街一番の高級ホテルと言っても1泊朝食付きで500Bの安さ、コストパフォーマンスからいったらこの旅一番のホテルと言える。数年前に泊まった時はホテルの前にディスコがあり、ボーイさんが「女の子はどう?」などと盛んに営業してきたが、ディスコは廃屋になっており、ホテル内のカラオケ、マッサージは営業していなかった。世界遺産の街にしては活気が感じられない。この街は素通りして80キロほど離れたスコータイに泊まる人が多いのかもしれない。

カムペーン・ペッからチェンライまでは480キロ、6時間の行程、一気にチェンライまで戻れないことはないが、長旅の疲れを感じていたので10日目は途中のラムパーンに泊まった。カムペーン・ペッから約3時間、この日の走行距離は274キロ。ラムパーンは陶器の街として知られ、ワット・プラケーオ・ドンタオ、ワット・プラテート・ラムパーン・ルアンなど趣のあるお寺がいくつもある。買い物や寺巡りに何度も訪れている街だ。ここまで来ればチェンライは指呼の距離、なんとなく気が休まる。いつもの1泊500Bのホテルに泊まったが、自分としては珍しく部屋で2時間のマッサージを受けた。10日もバイクを走らせてきたのだからこのくらいの贅沢は許せる、と自分に言い聞かせる。我ながら貧乏性で自己嫌悪に陥る。

■3千キロを走り終えて
11日目の昼前にチェンライの自宅に帰着した。10泊11日、総走行距離は2937キロ、タカをたずねて約3千キロ、よく走ったものだ。このシリーズも足掛け4ヶ月にわたって16本連載、400字詰め原稿用紙にして70、80枚になる。読む方の身にもなってみろというお叱りの声が聞こえそうだ。申し訳ない。

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし、経験したことは経験するそばから忘却の彼方に消え去る。それで構わないと思うが、そう言えばこんなことがあったなあ、と何かの折に思うことがあるかも知れない。その時のために、というわけではなく週2回のブログ締切に追われるうちに、ついつい16本も書いてしまった、が実状である。

日本の友人に「あれ、バードウォッチングの趣味があったのですか」と訝しく思われたが、確かに野鳥観察の経験も趣味もなかった。でもこのチュンポンの旅に誘われたおかげで新しい体験をすることができた。我がブログでは、体験したことだけではなく、その後ネットや人から得た知識をまるで昔から知っていたように書き連ねる。自分の経験が3としたら、他から得た知識が7、いや2対8の割合で受け売りが中心。

タカの渡りとは何か。何故、何時、何処へ渡るのか、芭蕉伊良湖崎で詠んだ俳句、日本でタカの渡りが観察できる場所、クラ地峡の運河開削計画、等の知識はすべて自分のものではない。

ただこのツーリングで確かに得たというものはある。1日目600キロ、2日目500キロという長距離走を含め、3千キロを走破した。この経験により長距離ツーリングに自信が付いた。あと3年はいける。ネットの知識より実体験からくる自信、これは何にも代えがたい。