■アンチャンGH
30分ほど遅れて15時半に列車はカンチャナブリ駅についた。往復約5時間の長い鉄道の旅であったが、里山を遠くに眺めながらキャッサバやサトウキビ畑をの間を走ったり、岩肌すれすれ、線路際に生い茂る雑草や灌木の枝が車窓をぴちぴちと叩いたり、桟道橋や鉄橋から眼下に川を眺めたりと、それほど退屈しない時間を過ごした。それにこの鉄道建設に携った亡き叔父をゆっくり偲ぶことができたことは個人的には良かったと思っている。
駅前にはヘルメットをバックミラーに引っ掛けたままのフォルツァがそのまま停車していた。何もいたずらされていない。タイ国民の人心、未だ地に落ちず。
さて午前中、駅で別れたNさんは何処にいるのか。電話してみた。Nさんは単独行で泰緬鉄道に沿ってナムトック駅よりかなり北上したあと、カンチャナブリに戻る途中とのこと。本日泊まるGHは予約しておいたから自分で探して行くように、クウェー川に架かる橋に向かって右側にある「アンチャン」というGH、すぐわかる、といって電話が切れた。アンチャンとはわかりやすい。自分が愛飲しているポリフェノール健康飲料の名称である。
カンチャナブリには2度来ていて、多少の土地勘がある。駅前の大通りを1本西側にはいったメナムクウェー通り沿いにはゲストハウス、レストランが立ち並び、妖しげなバー街もある。やはりアンチャンGHはこの通りに面していた。ハイ、予約頂いています、料金は500Bです。Nさんが言っていたきれいなお姉さんが部屋に案内してくれた。バンガロータイプ、床に布団が敷いてある和式みたいな部屋だ。トイレ、シャワーは部屋の外側に、壁には液晶の薄型テレビが装着されている。衛星放送も映る。一泊500BのGHだとブラウン管式のテレビが置かれていることが多い。ここは新築間もないようだ。Nさんのナイスチョイスに感謝する。本日の走行距離は251キロ。
■雨を見乍ら朝の珈琲
カンチャナブリの夜はGHのお姉さんお勧めのタイ食堂で食べたが、今となっては何を食べたか、どんな味だったか思い出せない。ただNさんとカンチャナブリ以降の予定について話し合った。彼とは同じチェンライ県に住んでいるが、チェンライ県は東京都の5倍以上の面積がある。新潟から東京に戻る場合でも八王子市と中央区に住んでいればどこかで別れることになる。そこで自分はナコンサワンまで北上し、カンペッペ方面から1号線でチェンライを目指す、彼はナコンからピサンヌロークを経てチェンライ県のトゥンに戻ることになった。Nさんには8日間お世話になった。よく頑張りました、とお褒めの言葉を頂く。明日9日目からはお互い単独行動だ。
翌朝、起きてみると小雨が降っている。なんだ、これは。チャアムで時間を取られている間に雨雲が我々に追いついたらしい。空を眺めながらNさんが雨の中を走るのは嫌ですね、もう一泊しますか、などという。GHの近くでお粥の朝食をとる。考えてみるとツーリングの間、朝食は常にお粥だった。日本でいうお粥は白米だけ、こちらで朝飯で食べるお粥はジョークと言って挽肉や半熟卵が入っている。値段は丼1杯で30B前後、鶏スープ仕立てでそれほどハズレがない。また毎日食べても飽きが来ない。
ジョークを食べた後、珈琲を飲んだが、なんだかなあという味だった。ここ10年、タイ人はこんなに珈琲好きだったのかと思うほど珈琲店(カフェ)は増えたが、味にはまだバラつきがある。Nさんは然るべきところから仕入れた生豆を自分で焙煎し、焙煎した豆を自分でコリコリと挽いて、イタリア製マキネッタで蒸気抽出した珈琲を毎朝楽しむという珈琲には一家言持つ人だが、ウーンと言っただけで何も味には言及しなかった。自分だったらこんな珈琲が50Bなんて高い、どんな淹れ方してんだ、などとブーブー文句を言ったと思うが、改めてNさんの紳士ぶりには感嘆した。
■戦場にかける橋
タイの天気は変わりやすい。いつもは8時にバイクに跨り次の目的地を目指すのであるが、この日はまず休息。「急がずば濡れざらましを旅人の 後より晴るる野路の村雨」の歌もある。小雨がぱらつく中、クウェー川にかかる鉄橋に行ってみた。この橋のたもとには泰緬鉄道建設で亡くなった日本軍兵士、連合軍捕虜、現地労務者を祀った慰霊碑がある。1944年2月に日本軍によって建立された。叔父もこの碑の前に立ったのかもしれない。
現在架かる鉄橋は戦後、日本の賠償で建設された。戦争中、鉄橋は何度か空爆されたが、その度に木製の仮橋を架けて物資の輸送を続けたという。観光客を満載した小船が鉄橋をの下を通り過ぎていった。
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