熟年ライダー(7)
暫くあいだが空きましたが、昨年11月のバイクで3千キロ、タイ南部旅行記の続きです。
■下見
1日目チャイナート、2日目、3日目はプラチュアップキーリーカンに泊まった。4日目はプラチュアップの隣県、チュンポンへと向かう。距離にして200キロ足らずだが、市内に入る前にカオ・ディンソー展望台へ寄った。ここが1300キロもバイクを飛ばしてきた目的地である。ただひたすらNさんのバイクに付いて走ってきたら、カオ・ディンソーに着いた次第。全然迷わずに着いてしまいましたね、とNさんが言う。カオ・ディンソーとは鉛筆山の意味らしい。タカのモニュメントがある展望台には茶店、トイレ、さらにここで観察できる猛禽類の絵と説明板がある。約40種も猛禽類をここで観察できるらしい。
到着したのは昼前だった。「タカの渡り」は午前8時から11時の間だという。太陽が昇り、山に向かって上昇気流が発生すると、その気流に乗って猛禽類が弧を描きながら上昇してくる、高く上がった鳥は展望台の上空から一気に南へ、つまりマレーシアやインドネシア方面に下って行く。茶店のお姉さんは今朝も結構、飛んだわよ、でも今日は終わり、また明日ね、と教えてくれた。お姉さんから買ったアイスクリームを舐めながら展望台近辺を散策、展望台の右手は山になっており、階段が続いている。頂上ではさらに鳥を近くに見ることができるようだ。前日、プラチュアップの猿山、カオ・チョン・クラジョクの396段の階段を登ったばかりだし、別にタカは飛んでこないし、と山登りは断念した。
■クラ地峡運河
チュンポンはプラチュアップの南側、東西に細長い県である。チュンポンを含むこの地域ははクラ地峡と呼ばれている。クラ地峡とはシャム湾とアンダマン海に挟まれたマレー半島が比較的細くなっている地域一帯をいう。幅は約100キロ、ここを掘ってシャム湾とアンダマン海を結ぶ運河を作ろうという計画は19世紀からあった。スエズ運河が約193キロ、パナマ運河が約83キロというから距離的にも技術的にも難しい話ではない。スエズ運河の建設を手掛けたフランスの外交官、レセップスが1882年にマレー半島を横断する運河建造計画を持ちかけ、一旦はタイの同意を得た。しかしシンガポールの影響力の低下を懸念した英国がタイに運河を造らないように働きかけ計画は実現しなかった。タイが立憲君主制に移行した1935年以降、タイ国内においても何度か運河開削計画があったが、政権交代、イスラム系住民の多い南部の治安情勢などで立ち消えとなった。
クラ地峡運河が実現した場合、マラッカ海峡を通過するのに比べて1日~2日間の時間短縮になり、燃料の節約もできるので物流コスト削減効果が期待できる。また、中国や日本といった東アジアの経済大国だけでなく、東南アジア、南アジアの新興国の50億人規模の経済圏の物流の促進、経済発展にとって大きなメリットが見込める。それにマラッカ海峡を通過する航路は、往来する船舶が多く非常に過密なので、クラ地峡運河が開通すればマラッカ海峡の混雑が緩和され、安全に航行することが出来るようになる。いいことずくめのようであるが運河ができて損するのはシンガポール、内外の華僑がクラ地峡運河建設に反対しているので、まだ日の目を見ない。でもアジアの経済発展に大きく寄与するクラ地峡運河計画はいつか実現するに違いない、と個人的には期待している。
■見所多し
運河建設工事でも始まればチュンポンは大きく発展すると思うが、今のチュンポンはタオ島へ行くフェリー乗り場のある街、いわば通過点として知られているだけだ。バンコクから夜行列車に乗り、明け方にチュンポンに着いてフェリーに乗れば、昼には島でダイビングが楽しめる、という。
今回はバイクで通りすがりに眺めるだけであったが多くの美しいビーチがある。またチュンポン諸島と言われる近くの小島ではシュノーケリングが楽しめる。でも自分たちが行った時は、ベトナム方面に上陸した台風の影響で、泥水のような色の高い波がビーチに押し寄せており、とても海に入れる雰囲気ではなかった。
チュンポンは沢木耕太郎の「深夜特急」にも一瞬登場する。シンガポールへ向かうため、バンコクから列車で南下、何もない街も良いということで、チュンポンに寄ることに。チュンポンには深夜3時に到着する。列車の中で仲良くなったチュンポン出身の子たちが自宅に泊めようと連れていくも、母に怒られ、他をあたり、売春婦がうようよいる宿に宿泊。尚、沢木のチュンポン滞在はわずか9時間だったそうだ。
写真はチュンポン県の位置、クラ地峡、カオ・ディンソ―展望台から、沢木耕太郎の降車したチュンポン駅