チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ8年10カ月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

介護ロングステイ8年10カ月

■結構家をあけたが
今月は10日ほどタイ南部にツーリング旅行に出かけたし、下旬には日本から来た娘をあちこち案内したりと、結構家を空けることが多かった。例年、10月、11月は季節の変わり目で風邪が流行る。昨年11月のブログを見ると、風邪をひいたが、ブアさんから得体のしれない丸薬をもらって治った、などと書いてある。
母も先月、かなりしつこい咳に悩まされていたが、今月に入ってほとんど回復。今月、兄が一時帰国して、その合間にニイさんがラオスへ里帰り、ブアさん1人態勢だったが、弟夫婦が高松からチェンライに来ていたので、安心して旅に出ることができた。弟夫婦は同じ団地内に住んでいるので、朝夕2回は我が家に来て、母に寄り添って、何かと話しかけをしてくれる。

旅先からブアさんに母の様子を訊ねると、電話に向かって母が何やら言ってくれる。意味は分からないが、息子から電話が来たと理解しているのだろう。アー、とかウーでも母からの反応があれば今日も元気だったのだと嬉しく思う。

■「エンディング・ノート」
帰国に合わせて兄のために友人たちが同期会やクラス会を開いてくれる。孫や病気の話が多いが、最近は「終活」問題が話題になると言う。特に財産関係はしっかり書き残しておかなければいけない、で終わりになるそうだ。

預金、株券、生命保険、必要な暗証番号、すぐ死ぬとは思っていないからそのうち、と考えているうちに突然お迎えが来る。困るのは遺族。おじいちゃん結構ため込んでいたはずよ、姉さん、ネコババしたんじゃないの、と遺族の仲も悪くなる。生命保険や株など遺族がその存在を知って、権利を主張しなければ、保険金も株も遺族のものにはならない。生保社員の給料が高いのは、保険金を払わないで済むからだ、という話もある。

公証人や弁護士を交えての遺言書作成もいいが、時間とお金がかかる。せめて「エンディング・ノート」の記入をしておくのはどうだろうか。書式はネットで検索、印刷できる。(例、 https://matome.naver.jp/odai/2135777893144397801
財産記録、介護、葬式の希望、ペットの世話など多岐にわたっており、残された人もこれがあれば落ち着いて葬儀、納骨、供養ができるし、相続のもめごとも少なくて済む。

■迷惑は当たり前
ブログに「日本人の困窮者が続出」という西日本新聞の記事を引用した。記事中の峯尾領事、JCN代表の志田さんとは面識があるので、他人事でないという気持ちで読んだ。

タイ人の奥さんとの間に幼児がいるチェンライのある老人が、体の具合が悪いので、ちょっと日本に行って治してくる、と一時帰国した。預金はすべて持っていった。ところが帰国して間もなく病死。残された奥さんと子供には生活費もない。孤独死ではないにしても周りに迷惑をかけることには変わりない。

自分もこの世に生まれた以上、親を始め、友人、先生、同僚上司、取引先、ご近所、それに配偶者、多くの人に迷惑をかけて生きてきた。だから、死ぬ時も人様にご迷惑をおかけすることはまちがいないが、NPO総領事館のお世話にはならぬようにはしたい。

孤独死と縁のない人
海外で困窮し、孤独死に至る人の多くは人の世話になりたくない、一人でできる、人付き合いが煩わしいと言う。しかし、人はひとりで生まれ、ひとりで生きてきたわけではない。誰でもご迷惑をかけたり、掛けられたりのお互い様で暮らしてきたのではないか。そう思えば、人間関係を少しでも良くしておく、人のためになることをやっておこう、という気持ちになると思う。

東京から来た娘は、おばあちゃんと会えるのはこれが最後になるかもしれない、と言って母のベッドに寄り添ってくれる。もう10年も前のことになるが、認知症がすすみ始めた母が娘に、あなたはだあれ、と訊ねたそうだ。孫のXXだよ、えっ、こんな可愛い子が私の孫だったの? そりゃ、おばあちゃんの孫だから当たり前だよ。その時、おばあちゃんもみんなも大笑いしたんだよ、と娘が言う。私が小さい時、おばあちゃんがどこそこへ連れて行ってくれた、あの服をとっても似合うと誉めてくれた、そんな話を聞くと母ならずとも息子までほのぼのとした気持ちになる。いい思い出を人に残していく人は決して孤独死などしない。

母が笑顔をを見せなくなって久しいけれど、たくさんの心温まる思い出を残してくれている。感謝の気持ちで一杯である。