チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

熟年ライダー(2)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

熟年ライダー(2)

■チャイナート
ツーリング初日にチャイナートに到着した。チャイナートはチェンライから605キロ、バンコクから195キロ地点にあるタイ中部の県(チャンワット)だ。このあたり、国境に近く、ビルマがアユタヤに進軍してくるルートの途中にある。ビルマに対する防衛の要衝で、軍隊の基地が置かれていた。シャム軍はどういうわけかこのチャイナートでは連戦連勝、それでこの地がチャイナート(大勝利)と名付けられたそうだ。
タイの国土は日本の1.4倍、約51万平方キロある。県の数は76、自分が来てから県の数がいくつか増えている。タイの小学生は県の名前を覚えるのに苦労しているのではないか。

地球の歩き方、タイ」は限られた観光地しか記載されていないので、チャイナートは全く出ていない。チャオプラヤー川に面しており、古くから開けていた場所のようだが、チェンライから車で南下していくと、丁度1泊目で足が止まる位置にあるというくらいだ。同行のNさんはここに7泊したことがあるという。彼は自転車競技の団体に関係があり、日本からの遠征チームのサポートでタイ各地を訪れている。チャイナートでも自転車レースが行われたとのこと。今回のツーリングでは目的地のチュムポーンの他に数カ所宿泊したが、彼はすべて訪れたことがあり、泊まったホテルや美味しいレストランを記憶していた。こういう人と一緒の旅だと心強い。

■バイク歴
バイクはタイに来てから乗り始めたのですか、とNさんに聞かれた。いえ、いえ、バイク歴は結構長いんです。

社会人になってすぐに、本社工場で新人研修があった。その時、50佞涼羝展局佞鮗蠅貌?譟∪ジ容盂い粒な佞篦渡駄遒覆匹鯀?蟆鵑辰拭その後、東京勤務となっても乗っていたが、原付ではどうも物足りない。当時は普通免許所持者は5時間の実習を受けることにより、大型自動二輪(限定無し)の免許を取得することができた。午後ちょっと時間が空くと「課長、ちょっと鮫洲の教習所に行ってきます」と言って会社を抜け出した。課長も「まだ取れないのかよ」などと言って送り出してくれた。長閑な時代だったと思う。中古のホンダCB250、そのあとホンダのCB350FOURに乗った。海に行ったり、富士五湖を巡ったり。NHKの朝の連続ドラマを見た後、電車で行けば遅刻してしまうがバイクなら充分間に合うするので、通勤にも利用していた。

カミさんをもらったら、基本的に一人乗りだからバイクは反家庭的なもの、という烙印を押された。カミさんとカミさんの両親の4人で伊豆をドライブしていた時、丁度バイクの事故現場に出くわした。3人、異口同音に「ホラ!」。抵抗空しく、30過ぎでバイクとしばし別れることになった。その後、築地魚市場へ買い物に行くために小型バイクを持ったが日本でのバイク歴は10年くらいか。タイに来てすぐバイクを手に入れた。走行距離からいったらタイでのバイク歴のほうが長くなってしまった。

■甘く見てはいけない
単独ツーリングで東北を一周したことがある。朝、東京を立って、昼食は宮城県の松島瑞巌寺あたりで摂った覚えがある。あの頃のバイクはエンジンの振動がスロットルに伝わってきて、東北高速道を降りたら手のひらがジンジンして、白蠟病にかかってしまうのではと心配をしたものだ。それにしても機械モノの進歩は著しく、600キロ以上走っても、車の振動はほとんどないため、疲れが少ない。

Nさんが600キロというと東京から明石か青森くらいの距離がありますね。高速代金は1万円じゃきかないと思うが、タイは無料ですもんね、と微笑む。でも日本でこのような走りをしたら多分、目的地までは行きつけないだろう。あちこちの県警や府警のパトカーに追い回されて、スピード違反の罰金支払いのため路銀が尽きてしまう。タイの国道の速度制限は自動2輪の場合、通常、時速90キロとなっている。巡航速度100キロだったから、場所によっては120キロ超のスピードを出した。90キロ走行なら周りの景色を見る余裕があるが120キロとなると肩に力が入り、前方を注視するだけとなる。

Nさんが懸念するように自分の運転技術は高くない。装備も劣る。Nさんは肩や肘にプロテクタの入ったバイク専用ジャケット、バイク専用の頑丈な靴、手袋も転がっても手のひらをすりむかないオートバイグローブだ。Nさんはバイク事故のユーチューブを見て、シミュレーションをしているという。自分が転がると体中骨折するばかりか、ヤッケの下に着ている化繊の長袖シャツが摩擦熱で溶けて皮膚に張り付くという。ツーリングは死と隣り合わせ、無事帰宅したら、少し装備にお金をかけようと思った。


写真はチャイナート県の位置、CB350Four、CB400、我がフォルツァ、チャイナートの市場2枚