介護ロングステイ8年9カ月
■咳が中々治まらない
タイに来て8年9カ月が経った。10月は天候不順、雨で気温が上がらない日があったせいか、母は風邪気味で咳き込んでいた。熱はないので入院させるほどではないが、ゴホゴホ咳をしていると、痰が絡まって誤嚥をおこし、肺炎になって、と悪いことばかり考えてしまう。枕元には洗面器と水の入ったコップ、それに大きなゴムスポイトが2つある。咳き込んで苦しそうな時、メバーンがスポイトを喉に差し込んで絡まった痰を取る。咳が治まると、アー、と声を出して満足の意を表す。咳は夜中に出ることが多く、夜番のブアさんは一晩中、スポイトで痰を取ったり、注射器で水を飲ませる。痰が多い時は水分の補給が欠かせないのだそうだ。
母の世話であまり睡眠がとれなかった時のブアさんは、機嫌が悪い。一晩中咳き込んでいました、今から休憩します、と枕を持って2階の空き部屋に引き上げる。この頃にはニイさんが出勤してくるので、当面の問題はない。
先月はブアさん、ニイさんの二人が枕元で交互に母の額に手を置いて、もう少し熱が出たら救急車を呼びましょう、といった事態があった。でも今月は咳が治まるのに時間がかかったが、救急車の話が出なかったことは幸いであった。
■その日は近づいている
毎月のように、あまり変わらぬ日々が続いている、と書いているが、2ヶ月毎にやって来る弟夫婦や、時折訪れる息子や娘に言わせると、だんだん体が小さくなってきているという。毎日、同じ食事を摂っていても、少しずつ衰えてきているのだろう。そう言われれば、最近は寝ている時間が長くなったような気がする。寝ている時はあまり声をかけずに一言、二言声をかけるだけ。もちろん反応はない。
息子である自分だってテニスであと一歩の足が出ず、ああ、我、衰えたり、と実感することがある。母はもう92歳だ。日本女性の平均寿命87.14歳を5歳も越えている。お迎えの日は確実に近づいている。
10月はオークパンサーがあって、それに引き続くトート・カティン(お坊さんに新しい法衣を献上する儀式)の行事があちこちで行われた。オークパンサーは1日だけだが、カティンはいくつものお寺でタンブンできるよう、寺ごとに日をずらして行われる。仏教行事となると張り切るのがブアさん、今年もロンブの村からの十数人が我が家を起点にして、100キロほど離れたウィアンカロン寺に遠征した。白ずくめのタイ人がそれぞれ母の横に行って、元気ですか、などと声をかけてくれる。母の顔ををなでてくれた子供たちには、お菓子を進呈する。
月に2,3度は、ブアさんの出身村、ロンブに行く。時には、タンブンを包み、お寺の行事にも参加するので、顔見知りは少なくない。ママさんにもしものことがあった時には必ず、お手伝いに伺います、といってくれる人もいる。村人も久しぶりに母をみて、そろそろかしら、と衰えを感じたのかもしれない。
■アカ族の村パナセリからも
葬儀の手伝いといえば、2か月ほど前、チェンライ市役所前広場で行われた物産展で、パナセリ村のアダム一家と偶然に出会った。以前はパタヤで土産物販売店を開いていたが、それは人に任せて、今はパナセリで農産加工品の製造販売を本業にしている。奥さんも娘さんも、お兄さん夫婦も一緒だ。出稼ぎに出なくても一族が一緒に暮らしていけるようになったとみえる。彼らの販売している柿や梅干し、ジャムなどを買い求めた。購入した品より、おまけのほうが多いくらいで恐縮してしまった。その時、アダムの奥さんが、ママさんにもしものことが起こった時はパナセリからお手伝いに上がりますから連絡を下さいね、とブアさんに言っていたそうだ。大したこともしていないのに、多くの人が手助けを申し出てくれる。ありがたいことだ。
■葬儀のプロ
今はすべて葬儀社が取り仕切るのかもしれないが、40年以上前に父が亡くなった時は、町内会が主体になってお斎の炊き出し、受付などをやってくれた。東京とは言え、地域の共同体意識が色濃く残っている土地柄で、遺族は坐っているだけで一連の儀式が終わってしまったという印象がある。今、我が家にはお寺関係ならお任せください、というブアさんがいる。いくつも腹案があるようで、お寺はここ、仕出し料理はあそこでxx人分、○万バーツで、などと言う。日本人にはビールを出すが何人来るか、などと聞く。
この分だとタイでも坐っているうちに葬式が終わってしまうかもしれない。タイ式のウェルダンで焼かれて完全に灰にされると日本の墓に納める遺骨が無くなる。今から焼き方はミディアムで、と頼んでおこうか。