チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

わが身世にふる

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わが身世にふる

■雨量
8月に入った。7月は降雨日が多く、1日中晴れていた日は3、4日だったのではないか。「タイには雨季がありますが、1日中降るということはまれで、夕立のようなスコールのあとは太陽が顔を出し、渡る風も爽やかです」と旅行案内には書かれている。でも今年の7月はタイ人も驚くほどの雨日続き。南シナ海に発生した台風がベトナムに上陸し、台風崩れの熱低によりタイにも大雨が降った。東北部の複数の県で河川の水位が上昇しており、洪水による作物への被害、伝染病の流行などが懸念されている、と現地紙にあった。タイの河は高低差があまりないので、じわじわと洪水がやってくる。3ヶ月ほど経ったらバンコクも洪水に見舞われるのではないか。

東京の平均降水量を見ると梅雨の6,7月が167弌154弌台風がくる9月が1年で一番降水量が多い月であるが、それでも210伉?戞△修譴飽悊かえ、チェンライでは7月の平均降水量は317弌8月が367弌9月に入っても280个盥澆襦8月はもっと雨が降るのかと思うと憂鬱である。7月はほぼ毎日降っていたが、テニスは週に3回はできた。多少の休みがあって体力的にはよかったと思う。
(チェンライ農業気象観測所発表の7月の総雨量は390个箸里海函やはり多かった)

■弟夫婦が来た
6月末に高松から大量の日本食材と共に弟夫婦がやってきた。この年になると本物の日本食が限りなく美味しく、また有り難い。瀬戸内海の鰆の白味噌漬け、和牛ステーキ、鯛の兜煮、おでん、手品のように食卓に和食が並ぶ。御民我れ 生ける験あり、と実感できる瞬間だ。

自分のせいではないが天気が悪くてどこにも行けないのでは、と弟夫婦に申し訳なく感じる。でも彼らは気にする様子は全くない。チェンマイに何か食いに行かないか、ランパーンはどうかと誘っても腰を上げない。母の様子だけ見ていれば安心で、物見遊山に行きたいとは思わないと言う。外食も億劫なようだ。日中、食材の買出しに出かける以外は、家でゴロゴロしている。床に茣蓙を敷いて寝ている。これが一番安らぐという。二人の楽しみは週1回の鍼治療。鍼を20本ほど打ち込んでもらうと自然に眠くなり、1時間後には頭も体もすっきりすると言う。鍼の先生とは友達になっているようだ。

雨の合間をぬってテニスに行ったり、温泉に出かけたり、家ではメールを打ちまくっている自分は、弟と比べると独楽鼠のように忙しないという気がしてくる。弟は来るたびに青山繁晴さんの著書とか余命3年時事日記といった本を持ってきてくれる。だから思想的傾向は自分と似ているはずであるが、いわゆるリベラルを非難することはほとんどない。読書傾向とは別に夫婦して韓流ドラマの大ファンである。韓流ドラマから見た半島人の特徴などを教えてくれるので、自分としては参考になることが多い。

■目指すは無為自然
藤原定家は名月記に「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」と書いている。紅旗とは朝廷の旗のこと、朝廷の旗を押し立てて敵を制圧するといったことは自分とは関係ない、私には和歌の道がある。といった意味らしい。

タイの片田舎に蟄居する身であるが、インターネットの世の中、日本の政情に、それはねーだろー、といった感情を持つことがある。心の中でそう思うだけではなく、控えめではあるがブログに書くこともある。書いたからどうにかなるというものではないし、怒りの感情は免疫機能を低下させるというから健康にもよくない。年を考えれば、すでに人生のロスタイムに入っている。ロスタイムを犬のように吠えて過ごすのはあまり賢いとは言えない。定家のように政治のことなど自分とは関係ない、自分にはテニスの道がある、と言ってみたいが恥ずかしくて言えない。
テニスのランク入りするほどの実力があり、年もまだ20歳くらいならともかく、始めたのは60の手習い、今は何とかラリーが続く程度。人生を振り返っても「自分にはこの道がある」と言いきれるほどのものはない。

表題、「わが身世にふる」は百人一首小野小町の「花の色は うつりにけりな いたづらにわが身世にふる ながめせしまに」からである。この歌の「ふる」は「経る」と「降る」の掛け言葉になっている。ぼんやりと雨を眺めて暮らすうちに、体力も落ちてしまった、テニスはうまくならない、空しい想いがつのるばかりなり、というところか。

無為自然」は老子が目指した境地であるが、自分も弟を見習って、雨音を子守唄と聞きながらゆっくり昼寝、世情に心動かすことなく、万事穏やかに暮らす。これが人生ロスタイムの賢い過ごし方のような気がする