チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

クンユアム再訪(2)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

クンユアム再訪(2)

■気ままな独り旅
6月のある日、母の状態が安定しているので旅に出ることにした。母の世話はブアさんがいるから大丈夫。1泊の旅には慣れているが、メーホーンソン、クンユアムとなれば日帰りや1泊では無理。2009年に行った時は3泊した。今回は独り旅、疲れたらそこで泊まればいい。2泊になるか3泊になるか、いいことがあれば更に連泊も。
さて、グーグルで調べるとチェンライからメーホーンソンまで414キロ、車で7時間42分とある。まずは行けるところまで行ってみよう。

午前8時に自宅を出る。1号線から118号に入り、チェンマイ方向へ向かう。数え切れないほど通ったなじみの道だ。2時間半ほど走って、チェンマイの手前を右折して121号線に入る。そこから107号を経てカーブの連続で知られる1095線へと入る。道は英語表示があるから間違いなく進むことができる。

8年前は兄とSさんとの3人旅だった。Sさんはその時70代半ばではなかっただろうか。時代劇に出てくる大店のご隠居といった雰囲気を持つ品格のある人だった。話し上手というよりは聞き上手、疑問を持つとそれはこういうことですか、と尋ねる。なるほど、確かにそういう見方もありますが、私はこう思います、という形で話が途切れることがなかった。それでいて疲れを全く感じなかったのはSさんの人柄に依るのだろう。
もう少しSさんの薫陶を受けていれば、すぐ人に反論したくなる我が狷介な性格も少しは柔和になったのでは、と彼を思い出すたびに反省している。

■1095線
やがて1095線はカーブの連続となった。8年前は雨季の8月、小雨模様の悪コンディションだった。こんな道を兵隊さんが歩いたんだねー、可哀そうだねー、この雨は兵隊さんの涙雨かしら、とSさんが呟いていたことを思い出す。今回、雨季ではあったが太陽が出てまずまずの天気。前回は気が付かなかったが、バイクのファランがやたらと多い。チェンマイからバックパッカーのメッカ、パーイまでは130キロ、車で3時間弱だ。バイクツーリングとしては距離、時間が手頃だし、カーブではリーンイン、ハングオンとライディング・テクニックも楽しめる。

道路も8年前に比べ、かなり整備されていることに気づいた。所々2車線になっているので、バッタのようなバイクを次々に追い抜いていく。レンタルバイクは通常110佞115奸急坂ではシフトダウンするからスピードが出ない。南欧系のファランだと思うがカップルでツーリングしていた。男は上半身裸、女はビキニのブラジャーと短パン、道端に眠る英霊もびっくりしていることだろう。

それにしてもカーブが多い。ハンドルを大きく切ったため、後部座席左に坐っていた兄が右縁に吹っ飛ばされたことを思い出した。チェンマイからパーイ経由メーホーソンまで定期バスが運行されている。昔はバスに乗るとすぐポリ袋を渡されたそうだ。タイ人は車酔いしやすい。山岳の人は更に酔いやすい。酔わないまでも右に左に降られるので右側の席に座った人は右肩、左側に坐った人は左肩にあざができる。カーブを曲がるたびに肩を打ち付けるからだ。チェンマイからメーホーソンまでは230キロくらいだが定期飛行便がある。季節になるとチェンマイ-パーイ間130キロを25分で結ぶ飛行機が飛ぶ。恐怖のジェットコースター陸路を行くくらいなら少々金を払っても、という観光客がいるのだろう。

■メモリアル・ブリッジ
九十九折の山道がなだらかな道に代わり、パーイが近いなと思う頃、パーイ川に架かる橋を渡る。コンクリート製の平凡な橋であるがこの橋の隣に今は使われていない鉄橋が残されている。パーイ・メモリアル・ブリッジだ。1942年に日本軍が物資を運ぶために建設したという。
朝8時に家を出て、1095線に入る前にガソリンスタンドでパンと牛乳の昼食を取った。そこで15分ほど休んだだけでずっと走り詰めだ。8年前もこの鉄橋で休憩したことを思い出し車を停めた。

ゆっくり鉄橋を歩く。以前はなかったが橋には電飾イルミネーションの電線が伸びている。夜になるとこの橋のたもとに外人観光客が集まるらしい。橋から見える高台にリゾートホテルがいくつかできていた。河原に草葺のあずまやが建っていて「竹筏漂流」と書かれた看板が見えた。パーイ川で筏遊びを楽しむ中国人観光客が多いということだろう。

2016年にタイを訪れた中国人は876万人、外人観光客の4人に1人は中国人だった。北タイの美しくのどかな秘境、パーイも中国人に席捲されているのか。(続く)