チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ミャンマーの旅(6)

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ミャンマーの旅(6)

■バゴー観光
1日目はチェンマイ、2日目はミヤワディ、3日目は落ちそうで落ちない奇跡の岩、ゴールデンロックのあるチャイティヨーに泊まった。4日目はヤンゴンに泊まる予定であるが、途中、バゴーを観光することになった。ヤンゴンまでは全くのお任せ旅行で、バゴーという地名さえそれまでは初耳。

言い伝えによると、バゴーの町は西暦573年に2人のモン族の王女によって創設されたという。モン王国は14世紀から16世紀にかけて隆盛を極め、現在の低地ビルマをすべて支配していた。特に15世紀後半、バゴーは商業と上座仏教の中心地として栄えた。モン王国はその後ビルマ人のタウングー王朝の支配下に入ったが、反乱を起こして一時独立したこともある。モン族は19世紀に英国軍に協力してビルマ最後の王朝、コンバウン朝と戦ったが、戦いの終わった1852年にバゴーは英国に併合される。

それなりの歴史を持つ古都であるから、見るべきものに事欠かない。先ず、バゴーで観光客が向かうところはシュエモードーパゴダだろう。1000年以上も前に建立された歴史ある黄金のパゴダで、ここには釈迦の遺髪が2本納められている。ヤンゴンのシュエダゴン、ピイのシュエサンドーと並ぶ「ミャンマー3大パゴダ」の1つ。しかも塔の高さは114mと、ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダよりも高い、それが地元民の自慢だ。ミャンマーだけではなく、東南アジア最大のパゴダというから仏教国タイも頭を下げるしかない。

■境内散策
霊験あらたかなパゴダなのだろうが、ドルが入ったネックポーチを失くしたことで、気が動転し、1万チャットの入場料を支払ったこともよく覚えていない。目の下に縦線が何本も引かれた友蔵のような顔になっていたのではないか。心の動揺を同行の人たちに気づかれないよう注意した。
自分の不注意、悔やんでも仕方のないことであるし、パスポートやカードを失くしたと思えばあきらめもつく、と自分に言い聞かせながら、パゴダを一周する。さくら友蔵心の俳句、「明日こそ、何か良いことあるだろう」。

かなり陽が強く、石畳が熱い。境内にいる係員が目ざとく自分の持っているカメラを見つけ、撮影料を徴収した。300チャット、日本円にして25円くらいか。わずかとはいえカメラフィーを払ったのだからと、パゴダの写真を取りまくったが、あまりにも大きな仏塔であったため、全体を収めた写真を撮ることができなかった。

■シュエターリャウン寝釈迦仏
ミャンマーは以前、ビルマという国名だった。ビルマと聞けば自分の年代であったら先ず、「ビルマの竪琴」を思い出す。竹山道雄原作。1956年に市川崑監督により日活から映画化されている。出演者を見ると、安井昌二三國連太郎西村晃内藤武敏三橋達也北林谷栄等、懐かしい名前が並ぶ。安井昌二演じる水島上等兵が寝釈迦仏の陰に潜んで竪琴を鳴らし、戦友たちが気付くシーンがある。この寝釈迦仏がバゴーのシュエターリャウン寝仏だと言われている。ただ、ウィキでは日活の美術班が張りぼての寝仏を作成し、小田原の公園で撮影した、と記されている。どちらが正しいかわからない。でも実物は全長55m、やはり大きい。994年にモン族のミガディバ王によって建立された。バゴー王朝の滅亡ととともにジャングルの奥地に忘却されていたものを英国植民地時代に鉄道敷設工事で偶然発掘された。

今は体育館のような屋内に安置されている。お釈迦様の耳のあたりには鳩が何羽か飛んでいた。どうやら耳の穴が鳩の巣になっているようだった。お釈迦様の前にはタンブンした人の名前と金額がプレートで表示されていた。100ドルほど寄進すると張り出してくれるようだ。日本人の名前もいくつかあった。タイ人の寄進者も多い。300ドルあれば150ドルくらいお布施として出したのに、と一瞬思ったが、あったら絶対出さないに決まっている。我ながらあきらめが悪い。

ところで「寝釈迦仏(ねしゃか)」と「涅槃仏(ねはん)」を混同している人が多いので、その違いを。
「寝釈迦仏」は休息しているお釈迦様を表し、「涅槃仏」はお釈迦様の魂が肉体から離れた(死んだ)時の状態を表す。「寝釈迦仏」は目があいており、足も不揃い、足の裏には108の煩悩が描かれているが、「涅槃仏」は目が閉じられ、足は揃い、足の裏は煩悩がなくなり何も描かれていない。
シュエターリャウンのお釈迦様は寝仏、目を開けているし、不揃いの足の裏にはびっしり模様が書き込まれている。(続く)




写真は友蔵、シュエモードーパゴダ(部分)、シュエターリャウン寝釈迦仏、寄進者プレート、仏足、タイ在住の友蔵