チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

技術の進歩に驚くばかり

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技術の進歩に驚くばかり

■ソロバン世代
もう今から20年以上前のことになるが、新入社員に質問された。「中西さん、パソコンが無かった頃、みんなどうやって仕事していたんですか」。ウーン、どうやっていたのかねえ。

自分が新入社員として配属された日に、机の引き出しを開けてみたらソロバンが入っていた。自分がソロバン時代最後の年代だと思う。フロアに一台、真空管式の計算機があったが、洗濯機を横にしたくらいの大きさで、値段は国産自動車と同じくらいと言われた。今じゃ、計算機は掌サイズ、20Bで買えるが車は20Bでは買えない。

コピー機が普及し始めていたが、会議資料にはまだ青焼きと呼ばれるジアゾ式複写紙が出てきた。罫線を引いた紙に鉛筆をなめなめ、月例報告や実績資料を書いた。自分は字が汚いうえに、誰も教えてくれなかったものだから、販売実績の数字の千、百万を示すカンマの位置がバラバラで、先輩にこっぴどく叱られた。
あの時、パソコンがあれば数字の位置はもちろん、計算もエクセルで縦横の数字はぴったりあったのに、と思う。パソコンが無い頃は叱られ乍ら仕事していたのだよ、と言ってもいい。

テレックスからファックスへ
IJPCに出向した1970年半ば、イランとの通信はテレックスだった。先ずローマ字で原稿を作り、さん孔テープという穴のあいたテープを作る。このテープを国際電話に乗せて相手に送る。高額の通信料がかかるため、テープは短いほどいい、そのためテレックス用語と言う特殊略語が用いられた。TKSがTHANKS、ASAP がAS SOON AS POSSIBLEの略であることは今でも覚えている。ところどころにSTP(STOP)の文字が出てきて、どうしてここで止まっちゃうんだろ、と思ったがこれはピリオドの代わりと大分経ってわかった。できるだけ短い文章で意を伝える砕身鏤骨のテレックス文章に命をかけるような人がいた。そろそろファックスが出始めた頃だった。絵でも文字でも書いたままの形で送付できる機械ができたと聞いて、びっくりしたことがついこの間のように思える。テレックスになれた先輩からは、若いもんの締りのない文章がそのまま送られると不満だったようだが、自分としては略語だらけの判じ物テレックスから解放され、結構嬉しかった。

■イランでの情報遮断
1978年10月から1979年3月にかけてイランのバンダルホメイニに勤務した。パーレヴィー国王が国外に逃れ、ホメイニ師が凱旋帰国したいわゆるイラン革命が勃発した時期に重なる。
イランにいた時は通信状況が悪く、日本のニュースが入らない。ファックスも停電等であまり用をなさなかった。もちろんパソコンなどない。夜、BBCのラジオニュースを聞いた人からイラン情勢を聞くくらい。まさに情報から遮断された世界にいた。だからイランにいた半年の間に日本で発生した大事件にはさっぱり実感が湧かない。例えば、当時は大騒ぎだったらしいが、江川卓投手がどういった経緯で巨人に入ったのかよくわからない。三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が行員30名を人質に立て籠もった事件も知らない。あのまま長期滞在していたら、間違いなく、今浦島になっていただろう。

ワープロからパソコン、ネットへ
1978年、東芝が初の日本語ワードプロセッサJW-10を発表した。価格は630万円。1980年代半ばになると各社がワープロを量産し始め、値段は1台平均16万円ほどに下がった。その頃、会社にもワープロが導入された。会議資料などで自筆の汚い文字を人目にさらさずに済むようになった。フロッピーに記憶させたデータや文章を再利用できたので、仕事は楽になった。ワープロ全盛時代は10年くらいだっただろうか。1980年代後半にはNECのPC-9800が出てきたし、海外出張した同僚がアップルのマッキントッシュを自分用に買ってきて使用していた。でもこの頃のパソコンはネットができなかったので、高級ワープロか電子計算機のイメージだった。

パソコンが広く普及したのは1995年の安価なウィンドウズ95の出現があってから。ネット普及も急激に進んだ。1996年の日本におけるインターネット人口普及率は3.3%であるが、現在は80%以上。ネットでの仕事、娯楽は当たり前になった。ネットなら世界中どこに行っても、おーい、と呼べば、なんだー、と友人が答えてくれる、ネットさえあれば友人関係を維持できる。退職後はどこか外国で暮らしてみたいと思うようになったのは、ネットを使うようになってからだ。今では大河ドラマはもちろん、TVニュースも同時に視聴できる。おーい、と音声でのやり取りもできる。

タイの片田舎にいても今浦島になることはなさそうだ。全くいい時代に生きていると思う。