チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

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■保育園問題
4月7日の「誇りなくして道は拓けず」で「保育園落ちた」という呪詛のツィートを載せた。コピペしたから、さらっとしか読んでいなかったのだが、この度、このツィートを熟読してみた。不愉快なことには変わりはないが、本質をついてるんじゃないかと思う個所もある。例えば、「保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ」。

東京都板橋区の例だと、園児一人にかかる経費は、0歳児の場合、月額で411千円、1歳児で207千円、2歳児で186千円、3-5歳児で100千円強となっている。
経費のうち、保護者の負担額は平均20千円弱である。
保育園は施設を作ってしまえば園児が減っても経費はかかるし、年収800万というベテラン保育士をすぐに削減することはできない。保育園の用地取得費、増設費を園児一人当たり経費に含めるとすれば、更に高額になる。こうなれば、保育園増設の代わりに、児童手当20万円を現金で渡したほうが、安上がりになる。20万くれるんなら私が面倒見てあげるわよ、という親戚のおばさんが現れるかもしれないし、働くお母さんたちが20万円を持ち寄って、職場に保育施設を作るとか、しかるべき方法を考えるかもしれない。20万円渡したら働かずにネコババしてしまうお母さんもいるかもしれない。でもお国のために子供を産み、育てているのだから、政治助成金流用よりはマシと思う。

棋士升田幸三
5月12日の「誇り高き日本人」で紹介した升田幸三のエピソードをもう一つ。

GHQは日本の文化、伝統を抹殺しようとした。その一環として将棋の禁止を考えていた。戦前戦中を通じ、将棋史上最強と言われ、常勝将軍とも賛美された「名人」木村義雄は軍関係者に重宝され、海軍大学で講義をしていた。将棋の講義が戦争にどれだけ役立ったかわからないが、GHQは軍と関わりがあった木村を引き合いに出して、彼は戦争に協力したではないか、と升田を突いてきた。木村をかばえば、将棋がつぶされる。かと言って、将棋を守ろうとすれば、名人一人に責任をかぶせることになる。王手飛車取りだ。

だが、升田は逆王手をかけてみせる。
「戦争中、あの人が海軍大学などを講演して回り、おかげで日本は戦争に負けた。オレが代わりにやっとったら、日本が勝っておる。おんどれらにとっちゃ、あの人は大恩人なんだぞ」。敵の標的を大恩人に変えての演説。居並ぶ将校たちも返す言葉がない。この時、升田は29歳、この若さでこの胆力、やはり並の人ではない。

■永野元帥
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう」。5月19日の「日本の出番」でこの永野軍令部総長の発言を引いた。

永野修身は24歳で日露戦争に従軍、旅順要塞攻撃の際は、海軍陸戦重砲隊の中隊長だった。司馬遼太郎は、「坂の上の雲」で、旅順要塞を20センチ砲で陥落させた後、要塞から眼下に見える旅順港に停泊するロシア旅順艦隊にすかさず砲撃を加え、敵艦隊をあっという間に撃滅してしまったかのように書いているが、これは事実とは違う。そもそも要塞から、旅順港は見えない。旅順要塞は、旅順港を背後から攻撃しようとする敵を、港が見える位置まで侵入することを防ぐ位置にあるわけで、山二つ分くらい、港の後方にある。港を見下ろす位置まで大砲を運ぶには3日はかかる。その間にロシア艦隊は逃げてしまう。

さて、となった時、永野は占領した大孤山から着弾地点を観測して無線連絡を取りながら座標補正していくという、それまでなじみのなかった間接射撃案を進言する。最前線で着弾地点の観測をした永野は、瞬時にこの方位、仰角の修正角を暗算し、修正角を無線で指示している。後方で大砲を撃つ砲術班は、その指示通りに、見えない敵艦をめがけて、大砲を発射する。永野の指示した弾は、ことごとく命中したという。一介の中尉の案を採用した軍上層部も偉いが、それだけ永野の力量が認められていたということだろう。

戦後、東京裁判において永野はA級戦犯とされた。彼は、裁判において、自らにとって有利になる弁明を一切しなかった。そればかりか、「真珠湾攻撃の責任の一切は自らにある」と明言し、戦死した山本らに真珠湾の責任を押しつけるような発言は一切しなかった。その姿に、米国海軍大将のジェームズ・リチャードソンは、「マーシャル永野こそ、真の武人である」と、絶賛をしている。

東京裁判中、巣鴨プリズンにて肺炎を発症し死亡、享年66歳。



写真は升田幸三永野修身、旅順地図、旅順要塞攻撃に使用された榴弾砲