チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ7年4カ月

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介護ロングステイ7年4カ月

■20年来の猛暑
エルニーニョの影響というが、タイ各地では猛暑が続き、スコタイでは5月11日に最高気温44度を記録した。チェンライでも40度を越える日がある。これくらい暑くなると、机、ドア、ベッド、タンス、どこを触っても熱く感じる。部屋の中で涼しい場所は、体温で冷やされた椅子だけ、ということになる。パソコンも暑さで度々フリーズする。道路は照り返しで50度近くに上がっているだろう。バイクを走らせると風は生暖かく、爽やかさとは程遠い。

2月、3月は乾季で最低気温が10度以下と、体がタイ化した自分にとっては極寒の世界、それが1月も経たないうちに40度の暑季に突入。日本だと盛夏、厳冬の間には春、秋があって、穏やかに季節が移ろっていくが、タイでは寒さに震えていたら、突然、死ぬんじゃないかと思う酷暑に変わる。事実、タイ保健省によると、タイ国内の熱中症による死者は3月1日―4月22日で34人に上ったという。5月に入っても40度の毎日だから更に死者は増えるのではないか。
例年だと日中に気温が上がると夕方から夜にかけてスコールが来て、いくらか凌ぎやすくなるのだが、今年は雨が少ない。チェンライでもあちこちで井戸が枯れて大騒ぎだ。ある高級団地では生活水を井戸に頼っていたため、ずっと断水したまま。灌水ができず、野菜や植物が枯れ始めている。タイ政府は田植えを1月以上遅らせるよう指導している。年間通してコメ作りができる国だから雨が降ったら田植えをしなさい、ということか。

■まっすぐ座れなくなった
老人は厳寒、猛暑の時期に亡くなることが多い。この暑さが母の体調に影響するのでは、と心配したが、食欲は相変わらず、女中さんもケンレーン(健康)と感心している。母の寝ている1階は陽が差さないので、それほど暑くは感じない。母の状態を見てこまめに女中さんが扇風機をかけたり、消したりしている。

母も90歳、変わらぬようでも次第に衰えてきている。以前はベッドの端に座らせると、そのままの体勢を保てたが、最近では支えなければ体が前や後ろに倒れてしまう。ぬいぐるみ人形状態だ。これまではベッドから長椅子に移して食事をさせていたが、座っていると体が横や前にかしいでしまう。そのためベッドで食事をとることが増えてきた。女中さんがマットや枕をあてて、母の上半身を起こして食事を口に運ぶ。母は匙からのお粥やバナナを器用に飲みこんでいるが、いつ噎せて誤嚥性肺炎にかかるかも、と心配である。でも心配しても仕方ないし、その時が母の寿命と諦めるしかないかな、と思っている。

■ビザの再申請
5月は母の1年ビザの申請月である。ビザ再申請には本来であれば申請者本人がチェンライの入国管理事務所に出向く必要がある。でも母はもう歩くことも、サインすることもできない。代わりに自分が書類を持って入管に行く。タイのお役所にありがちであるが、昨年と同じ書類をそろえて行けば、OKというわけではない。担当者、その時の通達、上役の気分、その他によって必要書類や手続きが変わる。
今年はまず、銀行で発行して貰う母名義の預金残高証明で引っかかった。以前は診断書を提示すれば市内のどこの支店でも発行して貰えた。今年から通帳を発行した支店でないと証明書は出せないという。仕方なく70キロ離れた支店へ。
診断書は、ここ何年も病院に行っていないが、チェンライに来た頃、母を診てくれていた医師が書いてくれた。昨年の書類コピーを参考に20枚ほどの申請書類を作成し、サインのできない母に代わって、自分が各ページに拇印を押した。

入管事務所の待合室でアカ村に住む邦人女性Tさんに会った。Tさんの村では20年来の日照りで、遠くの山から引いている谷川水道が朝1時間しか出ないという。ご主人はラチャパット大学の先生、薬剤師のTさんと大学で知り合った。彼女は「ナゼ、そこに日本人」とかいうテレビ番組に出たことがあるから、ご存知の方もいるのではないか。2月に1回くらいチェンライに「都会」の感じを味わうために山から下りてくるという。4歳になるお嬢さんと日本に里帰りするので入管に来たとのこと。お嬢さんはタイ語、アカ語、英語、日本語を解し、村ではお母さんの通訳代わりという。聡明そうな子だ。

書類、すんなり通るかどうかスリルがありますね、ここはタイだから、などと話していたが、Tさん母子は問題なし。自分も拇印の個所すべてに母の名前を代筆しただけでビザが下りた。というわけでTさんとお互いの幸運を喜び合った次第。タイではラッキーと思える機会が日本より多いかもしれない。