チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

世界の子供に日本の漫画を

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世界の子供に日本の漫画を

■影響を受けた漫画
自分が影響を受けた漫画をあげるならば、やはり鉄腕アトムゲゲゲの鬼太郎だろう。両方ともテレビアニメになった。

西欧ではロボットは人間と対立する禍々しいもの、というイメージがある。アメリカのSF作家、アイザック・アシモフは、ロボットが従うべき「ロボット3原則」を定めた。

曰く、
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

人工知能やロボットが人間を凌駕し、人類滅亡を画策するという設定のSF映画はハリウッドの定番だ。ロボットは人間と対立する存在で、人間はいつかロボットに復讐されるのではないかという恐怖心がアメリカ人にはあるようだ。上記3原則の「ロボット」を「奴隷、または有色人種」、「人間」を「白人」と言い換えれば、彼らの変わることない差別意識がはっきりとわかるだろう。

鉄腕アトムに代表される日本のロボットは人間と共生し、感情も共有してお互い助け合う存在だ。欧米では職場にロボットが入ると、自分達の仕事が奪われると拒否反応が起こるが、日本の工場では、これで仕事の能率が上がり、いい製品を生み出せる、助かった、と歓迎されるそうだ。
製造現場のロボットマシーンに、工員が「花子」とか「百恵」という名前を付けていて、今日も機嫌よく働いてくれよな、と話しかける様子を見て、欧米人が驚愕したという。対立ではなく共生、これは鉄腕アトムが日本人に与えた思想的影響と言っていいのではないか。
渡部昇一先生はどうして手塚治虫文化勲章を授与しなかったのか、と言っておられたが自分も同感である。


■鬼太郎の共生思想
ゲゲゲの鬼太郎は、人間と妖怪の共生の話である。鬼太郎は人間界を滅ぼそうとする妖怪と死闘を演じる。戦いでは目玉の親父はもちろん、猫娘、一反木綿、子泣き爺、砂かけ婆たちの協力を得る。これは集団安全保障の精神だ。
最近「ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂 2007」劇場版をユーチューブで見た。鏡ジジイの鏡の中に閉じ込められた美少女ハナを救おうとするうちに鬼太郎は海外妖怪と対決する。悪役、鏡ジジイは、実は善玉で、情けを失った人間世界に警鐘を鳴らすため、少女を誘拐したことがわかる。
ジェイソン、エイリアン、ダークサイドなど、ハリウッドのホラー映画では悪役は始めから最後まで悪役、妖怪は退治されるまで醜悪で獰猛であるが、鬼太郎の世界では妖怪は人間の投影だ。

鬼太郎は最後に「人間の皆さん、いつかどこかで僕ら妖怪と出会うことがあるかもしれません。その時は驚かないで下さいね。皆さんがやさしい心を持ち続ける限り、僕たち妖怪はずっと友達です」と呼びかける。

妖怪と人間はきっと友達になれる。悪い妖怪もいるが人間を守る良い妖怪もいる。テレビアニメの鬼太郎シリーズでは、目玉の親父が、終わりに「考えてみれば、あいつも哀れな奴じゃったのう」と鬼太郎に退治された妖怪を悼み、ああ云う風に悪くなったのは、人間があまりにも正しい心を失ってしまったからじゃ、と妖怪を擁護し、人間を戒める。
生きとし生けるもの、目に見えるものも見えないものも、すべて平和に暮らしていけるはずというメッセージが鬼太郎シリーズに流れていると自分は思う。

セーラームーン
1990年代少女漫画の金字塔。中学2年のドジな少女、月野うさぎが、愛と正義のセーラー服美少女戦士「セーラームーン」に変身し、街を襲う妖魔を倒していき、街の平和を守っていく。彼女も鬼太郎と同じく、仲間のセーラー戦士、タキシード仮面と協力して悪と戦う。悪役の、あやかしの四姉妹、クイン・べリル、カオリナイト、皆、セクシーなお姉さんばかりで、彼女たちにも人気があった。実は自分もあやかしのファン。
アメリカホラー映画の悪役、ジェイソンやゾンビを好きになる人は少ないだろう。日本の漫画、アニメには敵をどこかで受け入れる包容力がある。

以前、ワンピースには戦うことによって仲間が増える、という日本特有の考えが盛り込まれていることを紹介した。
日本の漫画、アニメに親しんだ外国の子供が、戦いとは敵を殲滅することではないという「和の心」に気づいて、それがもしかしたら世界平和につながるかもしれない。そう自分が思うのはあまりにも馬鹿げているだろうか。



写真、集めるのに苦労しました。