チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

誇り高き日本人

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誇り高き日本人

■勝負師升田幸三
中公文庫に棋士升田幸三の「名人に香車を引いた男」がある。元は週刊朝日に連載された自伝で、升田が喋りまくったものを記者がまとめたものという。この本の中のエピソード、GHQに呼び出された升田が居並ぶ米軍将校をやりこめた話は、いろいろな書物やブログに引用されている。以下はブログ「松岡正剛千夜一夜」より抜粋。

昭和22年の夏のことだったという。あるとき世話になっている朝日新聞社にいると、業務次長の窪川という男が、GHQに行って将棋の話をしてきてほしいと頼んできた。升田はそういうことなら、大成会の会長である木村義雄が引き受けるべきだろうと思ったが、ふと、むらむらして行くことにした。
 いまの第一生命にあった司令本部に行くと、部屋に通された。ベタ金の偉そうな軍人が4~5人と通訳が待っていた。升田は開口一番「酒を飲ませてくれ」と言う。自分は5歳のときから酒を飲んでいて、人と話すときは酒を飲まなかったことがないという理由だ。アメリカ人たちは「わかった、日本酒はないが、ビールとウィスキーならあるが、どっちがいいか」と聞く。ビールを所望した。
 これは升田の最初からの作戦だったらしい。迂闊に喋って言葉尻でもつかまれたらまずい。ビールを飲んでいれば小便に立てるから、そのときに変な質問をかわす時間が稼げる。そういう作戦だ。ところが、いつまでたってもビールが来ないので催促をすると、目の前にあるという。缶ビールなのである。こんなものがあるとは知らなかった。あけて飲んでみると、これがまずい。「まずいビールだ」と大声で言ったら、みんなビクッとした。

■将棋は捕虜虐待
質問が始まった。「日本には剣道とか柔道があって、武道とか武士道というものになっている。おかげでわれわれは沖縄の戦いで手を焼いた。武道は危険なものなのではないか」。
 升田は答える、「そんなことはない。武道の武は戈を止めると書く。身につけてもやたらに外には向けず、おのれを磨くのが武道なのだ。武士道とは心づかいの道なんだ」。
 また質問がある、「日本の将棋はわれわれがたしなむチェスとちがって、相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待であり、人道に反するものではないか」。升田は、そうら、おいでなすったと腕を撫す。反撃のチャンス到来である。
 「冗談を言ってもらっては困る。チェスで取ったら駒を使わないのなんてこそ、捕虜の虐殺ではないか。そこへいくと日本の将棋のほうは、捕虜を虐待もしないし、虐殺もしない。つねに全部の駒が生きている。これは能力を尊重し、それぞれにはたらきを与えようという思想なんだ。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車という元の役職のまま仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」。
 なかなかの説得力である。これで升田は勢いがついた。「だいたいあなたがたは、いちいち民主主義をふりまわすけれど、チェスのどこが民主主義なんだ? 王様が危なくなると女王を盾にして逃げようとするじゃないか。古来から、日本の武将は落城にあたっては女や子供を逃がし、しかるのちに潔く切腹したものだ。民主主義、民主主義とバカの一つおぼえのように言ってくれるな。将棋をよく勉強してほしい」。

■持ち駒ルール
 このあたりから升田はまずいビールで酩酊し、勢いがとまらなくなったようだ。ついに「お前たち」とか「お前ら」とか「おんどれら」と呼び捨てにする。「お前らは、いったい日本をどうするつもりなんだ? 生かすのか殺すのか、はっきりしてくれ。生かすのなら、日本の将棋に習って人材を登用するのがいい。殺すというなら、俺は一人になっても抵抗したい。日本が負けたのは武器がなかったせいだ。俺はよその飛行機をぶんどっても、お前らの陣地に突っ込んでやる」。
 通訳は汗びっしょりだったようだ。かれこれ、この調子で5~6時間を喋りまくったらしい。さすがに「もう帰っていい」というので、最後に注文を出した。
巣鴨にいる戦犯の連中を殺さんでほしい。かれらは万事をよく知っており、連中を殺すのは字引を殺すようなものである。生かして役に立てる道を選んでもらいたい」。
 
この「連中を殺すのは字引を殺すようなものである」が、泣かせる。標的とされた持ち駒ルールの精神を占領政策に取り入れろと要求したのだ。かくして将棋は生き残った。

升田の反論に感心した将校が、去り際にお土産にウィスキーを持って帰れ、と勧めた。酒飲みの升田は喉から手が出るほど欲しかったが、ここでアメリカにしっぽを振ってはいかんと思って申し出を断ったという。