チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

誇りなくして道は拓けず

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誇りなくして道は拓けず

■保育園落ちた
保育園に子供を預けることができず、再就職できない女性が匿名ツイッターで呟いた。働くお母さんから共感できる、という声が多く寄せられているという。全文は下記の通り。

保育園落ちた日本死ね
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。
どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。
保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。
保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が子供産ませないでどうすんだよ。
金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ。
不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。
まじいい加減にしろ日本。

■嫌悪感
自分はこのツイッターに全く共感できない。先ず、表現が汚いし、品がない。自分の思い通りにならなかったからといって、死ね、は穏やかでない。面と向かってこう言われたら反感を招くだけだろう。日本人として、日本死ねといわれて気分がいいはずはない。共感するという民進党共産党、並びに支持者の皆さんは、日本死ね、といわれて快いのだろうか。日本が死んで喜ぶ国はお隣の国くらいしかないが、ツイッターを書いた人はその方面の人なのだろうか。

民主党時代に比べ、保育所関連の国家予算は倍増しているが、保育士、施設不足で待機児童を解消するに至っていない。地方によっては少子高齢化で定員に満たない保育所もある。予算増額、施設のアンバランス是正、保育士の賃金アップなど問題はあるが、一挙に解決は難しい。保育所では入所の公平さを期すため、収入、子供の数などポイント制で入所優先度を決めている。過渡期としては仕方のないところだろう。

■自助と互助
タイでも就学前児童を預かる施設はあるが、基本的には家族、一族で子供の面倒を見るため、タイ死ね、といった人は出てこない。日本でも昔は、祖父母が働く親に代わって、孫の世話をしていたのだろう。
日本死ねのお母さんは、両親の助けが得られなかったのだろうか。一億総活躍社会なら、孫の面倒を見るのも年寄の活躍の場である。子育ては母親だけではなく、夫も、親族も、地域社会も参画すべきだと思う。介護だって同様にまずは自助努力を優先して、できないところを介護保険や施設の方々にお世話になるべきと自分は考えている。

個人主義核家族化が過度に進んだためかと思うが、自分の個人的不満を社会や政治のせいにする。見苦しい。
この分で行くと、特養施設に入れなかった、就職面接に落ちた、希望の大学に入れなかった、恋人ができない、結婚できない、xxできない、日本死ね、ということになりかねない。思い通りにならなかったら死ね、金くれたら子供を産んでやってもいい、という国民ばかりになったら、日本は品格ある国といえるのか。

独立自尊、自分に誇りを持っている人は、人や社会のせいにしないで、努力して道を切り開いている。仕事柄、ベンチャー企業の成功者を見聞きしてきたが、泣き言や愚痴をこぼす人は皆無であった。

■人生は不公平
ベトナム戦争の頃、米国は徴兵制を敷いていた。戦場では、職業軍人の戦死率はそれほどではないのに、新兵の損耗率は高かった。ある女性記者が、ジョン・F・ケネディ大統領に質問した。大学から戦場に向かった若者が戦死する割合が職業軍人に比べて高い、これはおかしいのではないか。ケネディの答えは次のようなものだった。「人生は不公平にできているのです」。

日本には「人生は不公平にできているのです」と言い放つ政治家はいないだろう。でも大人なら、人生は不公平と思いながらも、自分なりに努力して環境を変える、気持ちを切り替える、納得できる道を探す。

働くことは大切だ。でも子育てに専念、という選択は普通であったし、そのほうが家族の幸せにつながる、と言えるのではないか。