チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ6年11か月

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介護ロングステイ6年11か月

■介護体験の紹介
チェンマイ介護研究会から口演依頼があったのは9月のことだった。12月12日に同会主催でシンポジウムが開催されるという。パネリストとしてチェンライでの介護体験を話し、そのあと質疑応答がある。大分先のことと思っていたが月日の流れは早く、気がつけばすでに12月、30-40分とはいえ、人様に話を聞いて頂くわけであるから、それなりの準備がいる。

実は4年前に今回と同じ会場であるチェンマイYMCAで「チェンライでの介護ロングステイ」の演題で1時間半ほど喋ったことがある。その時に使用したパワーポイント、メモ資料が入ったUSBが出てきたので、これを再利用することにした。

1.何故、チェンライへ 2. タイに来るまでの様子、 3.タイに来てから 4.チェンライでの介護の利点 5.まとめ、といった流れ。言ってみれば単なる「身の上話」に過ぎない。

■4年間の変化
いつも母の様子は変わりない、とブログに書いているが、4年前、2011年に皆さんの前で話をしたときのメモを見ると、母は現在、要介護度3です、と書いてある。要介護度3というと、中等度の介護を要する状態。具体的には、

 ・入浴や排泄などの行動が自分一人の力ではできない
・立ち上がりや歩行などが自力ではできない
・痴呆に関連する問題行動もあらわれる
・身だしなみや居室の掃除などの動作が自分一人ではできない

といった状態である。この頃は、おはようと言えばおはようと答えてくれたし、具合のいい時には昔話もできた。介助があれば歩行も可能だった。散歩に行くと言って、車いすに乗って団地内を回っていた。

メモには、認知症は治癒する病気ではなく、次第に病状は悪化し、ゆくゆくは寝たきりになります、と書いてある。まさに母は現在、要介護度5、寝返りを打つこともできないし、歩行はできないし、意思の伝達は困難、一日のほとんどをベッドの上で過ごす。

先月と変わらないように見えても、間違いなく病状は進行し、衰えていっているのだろう。

ドレスコード
チェンマイに行く朝、弟夫婦が母の見舞いにやってきた。二人の日課である。あれ、お出かけ?、うん、コレコレで。弟の嫁さんが「そんな恰好で行くんですか」という。真っ赤なスポーツシャツにジーパン、裸足にサンダル。いや、会場に行く前に、襟のついた紺のポロシャツに着替えるつもりだけれど、と答えたところで、嫁さんの、人前で喋るのにそんなだらしない恰好でいいのか、という言外の非難に気が付いた。
初めてタイ語の授業に行くとき、兄が先生に失礼だと言ってワイシャツに靴で行ったことがある。先生はいつも裸足だし、今ではこっちもポロシャツにサンダルだ。コードの緩い北タイに住んで、すっかり服装に気を使わなくなった。でも身嗜みにむとんちゃくになるのは老化の表れというから気を付けないといけない。

チェンマイYMCAに着いた。講師席では、隣にチェンマイ総領事が座り、チェンマイ介護研究会の役員の方達も総領事と同じく背広にネクタイ姿だったので多少、居心地の悪い気がした。やはり長袖のワイシャツくらい着用すべきだったか。

■やはり人間関係
タイ人を配偶者に持つ邦人は、介護が必要となった場合、配偶者とその縁戚が面倒をみることが一般的だから、基本的に老後の心配はない。しかし、独身者や、夫婦、親子でやってきてタイに一人残され、介護が必要となった場合、どうするか。この問題に対処するために、「チェンマイ介護研究会」が立ち上げられたという。研究会では4,5人の小グループでの助け合いを一つの解決策として考えている。小グループであっても、いや、小グループだからこそ、価値観が同じ人でなければうまくいかない。人のお世話をし、自分もお世話になるためには信頼関係が第一、お互いを思いやる気持ちが大切。気の置けない仲間とおしゃべりをするだけでもストレスが取れ、心身が健康になるという。

やはり人間は一人では生きていけない。GHの一室でこと切れて、そのまま1週間も誰も知らなかった、という最期では総領事館にもご迷惑をかける。

母もこちらで最期を迎えることになる。その時は女中さんはじめ近所の人、邦人の皆さんにもお世話になるはずだ。その時のためだけではないが、周りの人との関係を良好に保っておくことは大切なことと思う。

介護ロングステイの総括では、医者に余命3カ月と言われたが、母はもう7年も生きています、総括はこれに尽きます、と話した。今年も無事に年を越せそうだが、それは女中さんはじめ多くの方々のお陰である。今年もお世話になり有難うございました。一つよいお年を。



勝手ながら年末年始のお休みを頂きまして、明年1月4日より再開の予定です。