チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

親日国トルコ

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親日国トルコ

エルトゥールル号とトルコ救援機
映画「海難1890」に関して、同じことを書いたような記憶があった。それで古いブログをひっくり返してみたら、2000年6月に「Evacuation Flightの思い出」のタイトルで、エルトゥールル号と1985年のトルコ救援機の話を3本書いていた。日本政府の在外邦人保護の体制はその頃からあまり変わっていない。だからこそ映画上演を機会に多くの人に国家のあり方について考えていただきたいと思う。

フェイスブックでも何人かの友人が「海難1890」をツィートしているのだが、いわゆるリベラルの側からのコメントはない。日本人の素晴らしさを示す史実は反日の人にとって都合が悪いのだろう。またこの映画を見れば、安保法制の不備、憲法改正の必要性を想起せざるを得ない。「アベ政治を許さない」人たちにとっては大層都合の悪い映画と言える。この映画を見て改心して欲しいが、まず映画館に足を運ばないだろうなあ。

安倍首相は11月13日、トルコ・イスタンブールのユルドゥズ宮殿でトルコのエルドゥアン大統領とともに「海難1890」を鑑賞している。首相は「1985年3月、トルコによる日本人救出の際、外務大臣であった父・安倍晋太郎の秘書官として、私はこの歴史的瞬間の話を耳に致しました」と当時を振り返り、「あの時の感動と感謝の気持ちは今でも忘れませんし、今、プレミア上映を一緒に拝見をさせて頂きまして、あの時の感動、感激が再びよみがえって参りました」と語っている。
ヒロインが「どうして、日本が日本人を助けられないんですか!」と叫ぶシーンは首相の心にも響いていることだろう。

エルトゥールル号遭難事件
1890年は明治23年日清戦争勃発はこの4年後のことであり、日本はまだ東洋の小国であった。一方、トルコは露土戦争に敗北したとはいえ世界の大国の一つ、オスマン帝国の時代。オスマンの皇族が乗艦した軍艦をはるばる日本にまで送ることができた。

そのオスマン帝国海軍の木造フリゲートエルトゥールル号は3カ月の日本訪問を終え、帰途に就いた。そして9月16日、折からの台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし22時半ごろに沈没した。これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする600名以上が海へ投げ出された。
樫野埼灯台下に流れ着いた生存者の内、約10名が数十メートルの断崖を這い登って灯台にたどりついた。灯台守は応急手当を行なったが、お互いの言葉が通じず、国際信号旗を使用して、遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦である事を知った。通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、生存者たちの救護に努めた。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還することが出来た。その一方で残る587名は、死亡または行方不明という大惨事となった。

事件後、オスマン帝国政府は、救助に当たった大島村の医師3名にかかった費用の請求をするように求めた。これに対し、我々は当然のことをしたまでで費用などいらない、そのお金は死亡した乗組員家族への義援金にまわしてほしいと答えた医師の手紙が残っている。

■タイ以上の親日国トルコ
海難1890」のメガホンをとった田中光敏監督が、トルコ関係者に制作意図を説明したところ、思わず泣き出すトルコ人がいた。やっとこの史実を映画にしてくれるのか、の嬉し泣きだったという。
また、日本人が取り残される空港のロケではトルコ人500人、日本人200人のエキストラが参加し、3日にわたる撮影が行われた。毎日、撮影が終わると、何人ものトルコ人がトイレットぺーパーで折ったチューリップの花(トルコの国花という)を感謝のしるしとして監督の机の上に置いていったと、主役の医師を演じた内野聖陽は語っている。

オスマン帝国はロシアにこっぴどくやっつけられたことがあって、日露戦争に勝った日本に対して特別の感情を抱いている。以前はトーゴーという名のトルコ人が一杯いたらしい。もちろんバルチック艦隊を打ち破った東郷平八郎大将にあやかってつけられた名前である。
人間関係でも付き合いたくない輩がいる反面、積極的に厚誼を深めたい人がいる。国家間でも同じ、付き合わなくていい国とはほどほどにして、多くの親日国と一層の良好な関係を維持していきたいものだ。



同じことばかり書いていることに気づきました。
Evacuation Flightの思い出
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/50560039.html

Evacuation Flightの思い出(その2)
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/50572134.html

Evacuation Flightの思い出(その3)
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/50587412.html


写真は映画ポスター、鶴岡八幡宮とその近辺