チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

安保法案が改正されても

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安保法案が改正されても

■米国総領事の講演
安保法案改正は、不十分ではあるが普通の国になるための第一歩として歓迎、というのが自分の立場だ。

今は軍政が敷かれ、強権によってタイの政情は安定しているが、ここ数年、タイの政治は荒れていた。2010年4月10日、いわゆる暗黒の土曜日で知られる武力弾圧事件が起こる。タクシン元首相派の市民ら約10万人の抗議デモに対し、アピシット首相の承認と指示のもとにタイ王国軍が発砲し、2000人以上の死傷者を出した。この時、ロイター通信の日本人カメラマンが国軍に撃たれて死亡している。バンコクは騒然としており、日本の外務省はタイへの渡航注意を呼び掛けていた。

でもチェンライは田舎だから至って平穏だった。この頃、チェンライに住む米国人中心の親睦会に、タイ語仲間のピーター夫妻の勧めで参加した。この日、講演に立ったのはチェンマイの米国総領事。時節柄、講演内容はタイ政治の解説だったが、政府、反政府派の内部情報は米国のインテリジェンス能力の高さを示すもので、日本の新聞記事の比ではなかった。それよりも鮮明に記憶に残っているのは、講演の後の質疑応答である。

フロアから退職老人の質問。「チェンライがバンコクよりひどい無政府状態に陥ったら、ワシらはどうなるんかいのー」。総領事は胸を張ってこう答えた。「ご安心ください、アメリカはあなた方を助けます」。具体的にはチェンライ空港に米軍機が飛来し、米国人、英国人、カナダ人を優先的に収容して安全地帯へ輸送する、その計画については各国と調整済みだという。
「タイ嫁がおるんじゃが、連れていけるかのー」。総領事の答えは明快だった。「奥さんならOKです。でも甥とか姪となると難しいでしょう」。更に総領事は続けた。「2006年、レバノンから2万5千人の米国人が脱出しました。その時の脱出計画を国務省で立案、実行したのが私です」。

邦人救出
例えば、の話であるが、中国で国内暴動が頻発し、内乱状態に陥る。雲南省では暴徒が解放軍の兵器庫を襲って、兵士の一部と合流する。武装集団と流民化した中国人がメコンを下り、チェンライに上陸、タイ国軍、警察を蹴散らして略奪、暴行、殺戮を恣にする。日本人は見つかり次第、なぶり殺しになる。ここに至って我が航空自衛隊は邦人を救出にチェンライ空港に飛来するか。残念であるが現在の憲法、安保法制下では自衛隊の輸送機は飛んでこない。

自衛隊が海外邦人救出に向かう条件として、(1)領域国政府の同意(2)自衛隊を投入する地域に領域国政府の権力が及んでいる(3)「国家に準ずる組織(国準(くにじゅん))」が当該地域にいない、の3条件があるが、他にも「武力紛争が発生していない」と「受け入れ国の警察などが治安の維持にあたっている」が加わる。要するに安全な所なら邦人救助に行けます、と言っているにすぎない。当該国が権力を掌握し、治安維持が保たれているなら、民間航空機で国外へ行ける。何も空自に来てもらうこともない。

緊急事態がチェンライで起こる可能性は低いが、朝鮮有事、中国有事は充分ありうる。参議院の質疑応答でヒゲの隊長こと、佐藤正久参議員が岸田外相から韓国には常時、5万7千人の邦人が滞在しているとの答弁を引き出している。だが有事の際、数万の邦人を救出できるか、という踏み込んだ質問はされていない。有事の際、韓国が自衛隊の入国を認めるか、国準が韓国内にないと言えるか、との問題があってまず自衛隊出動は無理。国としての交戦権を憲法が禁じているのだから、相手が国らしい組織であったら武力行使はできない。
中国で有事の際は、通州事件、済南事件の再来のごとく日本人が襲われることは充分予測できる。中国には15万人の在留邦人がいるが、彼らもまた見殺しか。

■日本はあなた方を助けます。
「国民の命と財産を守る」が国の責務だ。命と暮らしが第一、といった政党もあった。憲法があったから戦後70年の平和が保たれた、という人がいる。でもその憲法のために拉致誘拐された人々はまだ戻ってこない。交戦権を認めていないから北朝鮮との武力衝突覚悟の救出ができないのだ。国民が拉致されて、取り返せない国がどうして国民の命と財産を守るといえるのか。
「国民の命と財産を守る」ためには「憲法改正」が必要、と政治家も国民も気づく時が来ている。

いつか日本総領事が「日本はあなた方を助けます」と胸を張り、空自機の救助計画を説明してくれる日が来ることを望みたい。そうなった時が、日本が普通の国になったときであり、自分も税金を払っている意味があるというものだ。