チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

コーン島で見つけた本

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コーン島で見つけた本

■コーン島の学校で
コーン島は旧鉄道橋で隣のデッド島と繋がっている。この橋を歩いてみたが、もともと人が通るための橋ではないから縁石が低く、川に落っこちそうで怖い。

朝、デッド島からコーン島に子供たちが橋を歩いてくる。ラオスの児童生徒は、男の子は白シャツに半ズボン、女の子は白いブラウスに長めのスカートである。スカートの縁にラオス特有の模様が付いている。清楚な感じで大変好ましい。学校の入り口にラオス語と共にエコール何とかとフランス語でと書いてある(らしい)。ラオスの学制は5・4・4という。カレッジ・コーンと書かれている学校は高校に当たるのだろうか。

登校中や校内で遊んでいる子供の写真を何枚か撮った。タイと同じく、子供たちはカメラに気づくと、レンズに向かって微笑んでくれる。日本で知らない子供の写真を撮ったら、あ、変なおじさんがいます、と即、警察に通報されてしまう。

深夜特急
GHのシャワーは水シャワーのみ、水量もいまいちだったが、一泊200Bであるから文句は言えない。こんなところに日本人なんか来ないのだろうな、と思ったがGHの本棚に、何冊の洋書、洋雑誌と共に沢木耕太郎の「深夜特急」の文庫本があった。日本のバックパッカーが置いていったものに違いない。昨年、タイを訪れた邦人は126 万人、ラオスに来た観光客はその3%くらいだが、こんな辺鄙な島のGHにも日本の若者が来たのか。

深夜特急が刊行されてもう30年にもなる。沢木耕太郎は香港・マカオバンコク・マレーシア・シンガポールを訪れたが、ラオスには来ていない。でも多くの若者が深夜特急を片手にアジアに、欧州にと繰り出して行った。沢木は一人でもバックパッカーが増えるように、という思いで、深夜特急を書いた、と言っている。自分も深夜特急を読んだことがある。リズム感のある文章で、一気に読み進めることができる。いくつかのエピソードは思い出せるが、これを片手に旅に出ようという気にはならなかった。

ビンボー旅行記ということであれば、中学生の時に読んだ小田実の「何でも見てやろう」のほうが印象は強い。でも1960年代だから、まさか自分が後年、シベリア経由で欧州を放浪するなどとは思ってもみなかった。大体、海外旅行をしようにも先立つものがない時代だった。

深夜特急の時代、つまり1980年代から90年代になれば、アルバイトの稼ぎを幾らか貯めれば、海外雄飛は夢ではなくなる。まず、安く上がる東南アジアへ、東南アジア彷徨で自信が付いたら、インド、ネパール、シルクロードへと足を伸ばしていく、そんな若者は多かったのだろう。深夜特急は猿岩石の「進め、電波少年」に大きな影響を与えた、と自分は思っている。ある意味で深夜特急は罪なことをした、と思う。

■あの本には毒がある
深夜特急を片手にアジアに飛び出し、結果として人生を棒に振ってしまった、という若者は少なくないのではないか。そんなことはない、生きる自信が付き、今は自分で会社を興し、あるいは腕利きの営業マンとして活躍している、という人はいるだろう。確かに世の中、すべて悪、とかすべて善、というものはない。

自分は深田久弥の「日本百名山」は罪作りな本だと言ったことがある。こんな本があるから年寄りがあの山の次はこの山、と無理な山登りをして遭難してしまう。もちろん安全な登山で深田久弥の感動を共有する熟年者も多いこととは思うが、遺族の中にはあんな本があるからよくなかった、と思う人がいるのではないか。同じような程度で深夜特急は罪作りな本と思う。

深夜特急を片手に旅に出て、健康や身の安全はもちろん、精神的に頽廃してしまった若者もいるのではと危惧する。年取って200BのGHに泊まる人間が何を言うかと言われそうだが、あの本には「貧乏旅行至上主義」の毒がある。若いから、あまり金を持っていないのだから、と始めから人の好意を当てにし、貧しい国の貧しい人が商うものを値切り倒す、といった場面が出てくる。
日本人として、いや人間として恥ずかしくないか。この本を旅のバイブルと崇める若者も同じ行為をしたのではないか。

自分も学生の時、スペインの片田舎でワインを奢ってもらっていたから、人のことは言えない。でも奢ってくれるのが当然だ、と思ったことはないし、相手が青ざめるほど値切り倒したことはない。

もっと若い世代の作家と思っていたが、沢木耕太郎は自分と同年の生まれであることをウィキで知った。もし異国のGHで出会ったとしたら、友人になれただろうか。




写真は橋と橋の上、登校途中の子、学校の看板