介護ロングステイ6年5カ月
■少しずつ
4月から6月にかけてタイ語の授業を休んだ。日本からの来客や兄の一時帰国が重なったからである。その間、ラオズをスクータで縦断したり、弟夫婦とルアンプラバンや北タイを旅行したりと、結構動き回っていた。1月ほどチェンライに滞在した弟夫婦が帰国し、今月下旬から授業再開、テニスとタイ語の落ち着いた日が戻ってきた。
4月は転職するまで時間があるからと息子が来ていた。息子といい、弟夫婦といい、久しぶりに母を見るわけで、自分としては母にさしたる変化はないように思っていたが、彼らから見れば、母は去年より声も体も小さくなったという。
女中さんもママさんは健康で変わりがない、というがやはり少しずつ衰えているのだろう。チェンライに来た頃は一時的に元気になり、徘徊老人になるのではと心配するほど動き回っていたし、多少、トンチンカンではあったが、訪問客や自分たちとの会話もあった。いつのころからか会話がままならなくなったが、もっと話を一杯しておけばよかった、と思うことがある。
何年か前、息子(母から見れば孫)に向かって突然、「こんなことはしていられない、会社に行かなければ」と言ったそうだ。あれ、おばあちゃん、会社に勤めていたの? 「私が行かなきゃ、会社がつぶれてしまうんだよ」。実は母はずっと専業主婦を通し、働きにでたことはない。
6月21日付産経新聞に「夕暮れ症候群」という脳神経外科医の記事が掲載された。ああ、これだったのか。
■認知症にみられる「夕暮れ症候群」入院中なのに昔を思い出し「家に帰る」という患者
夕暮れ症候群の患者には、寄り添い安心できる声かけを
「そろそろ家に帰らせてもらいます」
入院中の85歳の女性が、病棟にいた私に言ってこられました。「どうしたんですか?」と尋ねると、「そろそろ子供が学校から帰ってくるので、晩ご飯を作らないといけないんです」と答えてくれました。
子供さんは、もう60歳近くで学校はとっくに卒業していますが、若い頃の記憶が鮮明に残っているため、そう思ってしまったのでしょう。
「今は、病気で市民病院に入院中なので、どうか治療に専念してくださいね」と声をかけ、子供さんのことなど興味のある話をしていると、気持ちが落ち着いたのか、ベッドに戻ってくれました。
認知症の方が病院に入院すると、病室の荷物をまとめて家に帰ろうとする方が多くいらっしゃいます。これは、自分が病気で入院したことを忘れたり、ここが病院であるということが理解できなかったりと、認知症による記憶障害、見当識障害からくるものです。特に夕方に多く出現し、「夕暮れ症候群」と言われています。
誰でも夕方は、何かと慌ただしくなる時間帯です。主婦の方であれば夕食の準備が必要でしょうし、仕事をしていた方であれば、帰宅したりと変化が生じる時間帯です。認知症の方も今まで過ごしてきたことが身についているためか、何かとそわそわしたり、不安になったりしてきます。
これは、病院だけでなく、介護施設や在宅で過ごされている認知症の方も同じです。自分の家にいても、「家に帰ります」と言ったり、そのまま家を出て徘(はい)徊(かい)につながったりする方もいます。
これは、生まれ育った家や居心地のいい自分の家とは違っているため、「居心地のいい家に帰りたい」という思いからこういう行動が出てきます。家族は驚いて、「ここがあなたの家でしょ」と言ってしまいますが、本人は家ではないという認識なので、よけいに混乱します。(引用終り)
■もっと話しておけば
母はもう歩くことも、まとまった会話もできない。そう言えば家に帰りたいと言ったことがある。その家は50年住んだ東京の家ではなく、小学生時代を送った瀬戸内海の海辺の家だった。どんな家だったの?、いつも泳ぎに行ったの?、カニはいた? 何でもいいからもっと話しておけばよかったと思う。
最近は、少しずつ衰えていく母と自分の余生を重ね合わせることが多い。大型スクータに乗っていても老化は確実に進んでいる。テニスを付き合ってくれる小学生が、俊足を飛ばして取れるはずのない球を打ち返してくる。とても自分には追いつけない角度だ。足の速さに感心して20バーツのお小遣いをやりたくなる(やったことはない)。
酒も以前ほど飲めなくなった。そのうち母のように「もう要らない」と言って身を震わせてビールを拒否する日が来るのだろう。
そのうち、「こんなことしていられない、俺が行かなきゃ会社が潰れてしまう」と言い出す日が来るのか。現役の時にはそんなこと、これっぽっちも思ったことはないのだが。
写真はチェンライの市場から