チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

やらずぶったくりの国ばかり

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委任統治
第一次世界大戦後、戦勝国の一員となった日本は1920年に設立された国際連盟常任理事国になった。
古来より、戦勝国は敗戦国の領土を自由に山分けしてきたわけだが、20世紀にもなると山分け方式に、いくらか文化的口実をつけるようになった。国際連盟委任統治領の制定である。委任統治委員会には国際連盟事務次長、新渡戸稲造の推薦で柳田国男が委員として名を連ねている。
委任統治の対象地域は、第一次世界大戦の敗戦国ドイツ帝国のアフリカ及び太平洋の植民地と、敗戦国オスマン帝国支配下にあった中東地域である。
形式的には、戦勝国がこれらの地域を自国の植民地として搾取することを防止すると共に、住民の福祉を推進し、将来の自治・独立に向けたサポートをすることが目的であると謳われた。
しかしながら白人国の委任統治領は実態としては従来の植民地と何ら変わらず、単なる名称の変更に過ぎなかった。
日本はドイツの持っていた植民地、カロリン諸島マーシャル諸島マリアナ諸島グアム島を除く)を「日本委任統治領南洋群島」として受け継いだ。日本は明治以来、国際的取り決めを守り、国が借りたお金はすべて完済してきた。世界を見るとお隣の国を含め、ほとんどの国は借金踏み倒し常習犯だ。

■ともに向上
日本は南洋諸島委任統治するにあたり、国際連盟の「住民の福祉を推進し、将来の自治・独立に向けたサポートをする」という目的を律儀に守った。パラオ島は1885年にスペインの植民地になった。その14年後、1894年にドイツの植民地になるのだが、その間にパラオの島民の人口は10%に減ってしまった。白人の植民地になると収奪され、男は殺され、女は犯され、結果、人口が減る。日韓併合前、朝鮮半島の人口は800万の人口だったが1945年には2千2百万人に増えたことを見ても、朝鮮半島が植民地であったとは言えない。ドイツの植民地となったパラオでは道路、病院、教育施設等のインフラ整備はほとんど行われなかった。
日本は委任統治を開始すると、国の予算を投入して、道路、病院、学校のインフラを整備していった。まず、日本の職人が道路や建物を作ってやり方を見せる。そして島民と一緒に作業し、やり方を覚えさせる。パラオ語には文字がないため、学校の授業は日本語で行った。若き日の中島敦パラオ南洋庁で現地用の教科書編纂業務にあたっていた。搾取どころか人材も予算も投入して、住民の福祉向上に励んだのである。旧来、島同士の抗争、紛争が絶えなかったが、日本は島対抗運動会を催し、日本人も島民も綱引きや徒競争を行って親睦に努めた。白人に比べて日本人は人種差別意識が少なかったことは事実である。

■白人国と日本の違い
日本はパラオにだけ、こういったインフラ整備を行ったのか。台湾、朝鮮半島をはじめ、大東亜戦争占領地域でも同じことが行われた。あるフィリピン人は言う。36年間、米国の植民地だったが、米国は収奪するだけで、インフラ整備をほとんど行わなかった。だからフィリピンは鉛筆一つ生産できない、36年日本に支配されていたら、フィリピンだって台湾や韓国以上の工業国になれたのに、と。
フィリピンを占領した日本軍は現地人を集めて、成人教育を始めた。日本軍人が先生だ。軍人は青年たちを前に「ファット・アー・ユー?(お前たちは何者だ)」。みな、顔を見合わせるだけで何も答えられない。この禅問答が数日続く。やがて一人が小さな声で呟く。「アイ・アム・フィリピーノ」。軍人は初めて微笑み、そうだ。君たちはフィリピン人だ。フィリピン独立のために学ぶのだ。日本軍はインドネシアでもマレ半島でも同じように現地の若者を奮い立たせた。目覚めた若者は日本軍撤退後、再度、アジアを植民地化しようと戻ってきた白人と対峙することになる。

白人国の植民地政策の基本は「やらず、ぶったくり」だ。欲しければ殺して奪う。印欧語族ゲルマン民族の南下は「殺して奪う」だった。北米に渡れば800万人いたというインディアンを殺しまくって、土地を奪った。北米インディアンは、今はわずか35万、それも全員白人との混血だ。150年前、もし日本が欧米、ロシアの植民地になっていたら、現在の日本人は300万人程度、それもほとんど白人との混血ということになっていたかもしれない。
それに引き換え、日本は「共存共栄」が基本。相手も同じように睦みあい、豊かに発展してほしい、ともに働き、喜びを分かち合う。未だに白人国は世界中で「やらずぶったくり」を繰り返している。対極にある日本の国際的関与を望む国は少なくないと思うのだが。

写真はチェンライの市場の風景