チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

日頃の足

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日頃の足

■チェンライは車がないと
チェンマイであったら、街中にトゥクトゥクが走っているので、どこにでも行ける。車やバイクを持っていなくても暮らせるだろう。メータータクシーが増えてきたが、やはりチェンライでは自分の足、車かバイクがないと暮らしが成り立たない。

6年前、チェンライに到着した翌日に1500佞離札瀬鵝▲曠鵐瀬轡謄を購入した。1,2カ月遅れて110佞離丱ぅを手に入れた。そして4年前に1300ccターボのカリビアン、昨年には大型スクータ、ホンダフォルツァを購入、これで我が家の足は4つになった。他に自転車が1台あるが、女中さんも含め、ほとんど乗る人がいない。

シティは6年で12万キロ走行している。カリビアンは4年弱で6万5千キロ走った。カリビアンの走行計は5ケタまで、つまり99.999キロまでしか測れない。先月めでたく1回転して走行計が0に戻った。その瞬間をデジカメで取ろうと思っていたがすっかり忘れてしまった。忘れたからと言って、誰も困るわけではないのだが。

リビアンは1989年製造の車だから今年で27年落ちとなる。日本であったらどこかの山の中でボロボロに錆び果てているという年代物だ。カリビが特別に頑丈というわけではなく、チェンライあたりでは20年、30年前の日本車が普通に走っている。タイ語のジアップ先生は18年落ちの日産サニーに乗っている。先日チェンマイに行った時180キロ出た、ホレホレと言って携帯で写したスピードメータ-を見せてくれた。こちらの制限速度は確か90キロだから、かなり危ない。

それにしても日本車の耐久性を見ると、日本で数万キロ走行した車や、あるいは5年たった中古車(?)の買い替えを勧めることは、ほとんど犯罪行為ではないかと思える。


■頑張るカリビア
お妾さんと古い車はお金がかかるという。カリビアンは昨年末、タイヤを4本新品に取り換えた。速度70キロ付近で車体が激しく振動し、これが飛行機だったら空中分解だと思うほど怖かったが、これも小さな部品の交換で治った。今年になって、ちょっと音がおかしいというのでコンプレッサを新調した。エンジン音が静かになり、クーラーの効きも改善した。5千キロごとにオイル交換をしているので、その度にチェックをしてもらう。女中さんは、カリビは90歳の老人で病気だらけ、というが、年寄りでも車でも点検を怠らず、悪いところは早目に治しておけば健康に過ごせるというものだ。
修理屋のご主人によれば、今年の大修理により、バンコク往復しても全く問題はないとのこと、ホアヒンかシラチャの海浜に海鮮料理を食べに行くか。途中1泊すればそれほど無理なことではない。
しいて、カリビの問題点を挙げるとすれば、最近、ガソリンの価格が下がってきて、シティとカリビの燃費の差が縮まってきたことである。現在、シティの燃費は2B/キロ、これに対し、カリビはLPGで走るのだが、LPGがここ4年で30%ほど値上がりしており、現在の燃費は1.7B/キロとなっている。以前の燃費差は1:2でカリビに分があった。他に気になることはエンジンオイルを燃やして走るのではないかと思うくらいエンジンオイルが減る。500キロ走行するたびに、オイルを500嫗してやる必要がある。いくら日本製のエンジンだって40万、もしくは50万キロも走ればこのようになる。気になるんだったらエンジンを替えましょう、と修理屋は簡単に言うが、あなたも心臓を交換すれば100歳まで生きますよ、と言われているようで気が進まない。

■ホンダフォルツァ400
フォルツァは購入して15カ月経つが、走行距離は8千キロ弱、月当たり数百キロしか乗っていない。遠出というと、昨年4月のラオス旅行と一度チェンマイを往復したことくらい。日頃はテニスコートに行く、ちょっと買い物へという時に乗る程度。昨年、ラオスのジャール高原バイク旅行に誘われたが、都合がつかず断念した。今年の4月にラオスカンボジア国境をバイクで走破するという計画があり、それに参加できるかもしれない。ラオスは国道といえども未舗装部分はあるし、とんでもない陥没個所もある。

悪路トレーニングを兼ねて、ドイフアメ―カムに単独ツーリングを試みた。昨年、ひまわり祭りに訪れた村であったが、祭りの後はさびれた寒村に戻っていた。荒物屋のリス族のおばさんに尋ねたが、村には食堂もゲストハウスもないという。
この日の走行距離は約250キロ、カーブ、高低差のある山道であるから、かなり体力を消耗した。帰宅してラオカオを飲んだが、疲れとアルコール度の失念など悪条件が重なり、記憶が吹っ飛んだ。この話はまた今度。




写真、上の3枚はカリビアン、走行計(1000キロ)、光っているのが交換したコンプレッサ。
4,5枚目は祭りのドイフアメ―カム、6枚目がフォルツァと祭りのあと。看板は同じです。