チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

国際自転車競技2

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国際自転車競技2

■知らないことばかり
シリントン王女杯の自転車ロードレース、女子の2日目はチェンライから30数キロ離れたメチャンが出発点となった。最近、スクータに乗っていないのでドライブがてらメチャンへ応援に出かけた。暑季とはいえ朝の最低気温は20度前後であるから、心地よいツーリングが楽しめる。

スタート地点近くにいる選手団やスタッフに挨拶。チームに1台、レースを後援するトヨタからピックアップトラックが無償貸与されている。トラックには予備の車輪や空気入れ、水、食べ物などが積まれている。9チームだから9台、それに審判車やレースドクターの乗った救急車、他にも警察車両や先導のバイクなどかなりの長さの列になる。

自転車は芸術品と言っていいほど華奢である。重量を削るため材質選定はもちろんフレームパイプの厚さも極限まで薄くなっている。縦方向の力には強いが、紙のように薄いので横方向の力には弱いとのこと。車輪のタイヤ直径は2センチほど、これで道路に溝があったりしたらいっぺんに転倒だ。ギリギリに作ってあるので、とても素人に乗りこなせるものではない。

出発前、選手がおおむねシートで休んでいるので、力を温存しているのかと思ったが、自転車競技用の特殊な靴を履いているため、基本的には歩けないということが分かった。靴と自転車のペダルを機械的に密着させるため靴の底に突起がついている。スキーブーツとスキー板を固定するために板の中央部分に備え付けられたビンディングを思い起こさせる。

50名近くの出走者がいるからスタート地点は東京マラソンほどではないにしても前後が長くなる。最前列は前日トップのタイチーム、役員関係者が集合写真を撮りまくっていた。スタートは10時ちょうど、ピストルの号砲一発。日本チームは落ち着いて中盤以降からスタートしていった。

自転車競技は奥が深い
この日も約110キロ走って、ゴール時間は13時前後となる。2日目だし、特に日の丸を振りまわすのもどうかと思われ、この日はこのまま自宅へ戻った。
自転車競技は日本ではマイナーなスポーツであるが、世界的には野球どころではない人気スポーツらしい。ロードレースのプロ選手ともなればフィリップ・ジルベールやフェビアン・カンンチェッラーなど一流選手となれば年収10億は下らないと言う。イチロー並みの人気と収入と言うことか。ツールドフランスに出場し、ステージ5位の成績を上げた新城選手のような日本人選手も現れているから、そのうち邦人チームや選手の活躍が普通に聞かれるようになるかもしれない。

この日のレースも5名1チームで構成されていた。自転車はただペダルをこいで早ければ勝てるというものではないらしい。というより一人だけ前に飛び出しても風圧を受けてすぐへばってしまう。5人のメンバーが言わず語らずのチームワークで役割分担を決め、戦略を考えて戦う頭脳的団体競技であるそうだ。体力だけでなく知的要素も重視される。チーム構成に当たっては体力、知力のほかに人柄も大事だろう。どれをとっても自分に向いてない競技であるように思う。

■落車事故
今回のレースはステージレースと呼ばれ、個人の着順だけで総合順位が決まるではない。しかしステージ優勝というジャンルもあるから、最終ゴールの着順争いは熾烈なものとなる。この日もゴール前20mほどの地点で十数人が巻き込まれる落車があった。情報は伴走車で撮影班を務めていた友人から聞いたのだが、台湾の選手が意識不明、立ちあがれぬ選手も多数いて、救急車で搬送される選手が引きも切らなかったそうだ。日本選別チームは4人この事故に巻き込まれた。

直前を走る自転車の距離が10センチあれば安全と言うがそれは一流選手の話、力量に差のある選手がレースに混じっているとこういった事故が起こりやすい。華奢なマシンとプロテクタをつけない肉体が70キロで転倒する。F1、バイクレース、それにボブスレーやスキー大回転といったスピードを伴う競技と共にある危険だ。危険だからこそ人は競技に惹かれるのだろうか。一流選手が集うグランツールでも死者が出ることも稀ではない。

2名の邦人選手が病院に搬送された。一人は腰を強打。一人は左ひじ骨折の疑い。監督のNさんはパスポートをもって病院や宿舎を行ったり来たり。

3日目の最終ステージ、日本選抜は3名のみの出走。監督Nさんの「無理はせず、のんびり走れ」、の指示でケガもなく無事完走。13日は肘の骨ひびで入院していた選手を含め、5人の乙女は日本へ向けて出国。まずは全員無事帰国で胸をなで下ろした次第。






写真一番下右縁、色白の人はタイの大会関係者。