チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ4年11カ月

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介護ロングステイ4年11カ月

■寒波襲来
北タイでは、このところの寒波の話で持ちきりだ。先週17日あたりから最低気温が7度から8度、最高気温が21度前後の日が続いた。
統計をみるとチェンライの12月の気温は最低が13度、最高気温が27度となっている。でも長くチェンライに住む人に聞いても、こんなに寒い12月は初めてだという。最低気温が15度以下になると寒害緊急災害警報が発動され、山岳の貧困家庭には毛布が無料支給されるお国柄だ。だから7度といえば、東京で零下10度を記録したほどのショックではないか。

戸外で飼っていたグッピーが全滅、とか、酔っ払って外で寝ていた人が凍死したというニュースがあった。零下にならなくても寒さで死ねばタイ語では「凍え死に」というらしい。

チェンマイ郊外、タイの最高峰、海抜2565mのドイ・インタノンでは零下0.2度を記録したという。ドイ・インタノン山頂では時折、霜が降りるので、タイ人は霜見物のためにこの山に登る。マイナスの気温だったら、氷も張ったはずで、観光客は大喜びしたに違いない。

■寒さのため寝たきり
タイの家は夏をむねとして作られている。天井は高く、風通しがいい。暖房設備のある家はないし、あっても暖房効率が悪い。とにかく重ね着、靴下以外の防寒対策はない。体がタイ仕様になっているから、15度となると毛布の支給をお願いしたくなるほど寒い。気温が20度以下になると日本から持ち込んだ電気炬燵の中に潜り込む、という知人を笑っていたが、最近では本当に炬燵が欲しい。

5年前の1月、日本を出る時に着ていたダウンのチョッキやセーターが役に立つとは思わなかった。朝夕はそれでも寒い。だから、パソコンをやめてベッドにもぐりこむ。これで少しは暖かくなるが、生産的な活動は何もできなくなる。

母は食事、トイレのとき以外はベッドで過ごすことが多い。ウールの長袖、長ズボン、それに毛布、夏掛けを2枚ほどをかけて寝ている。暖かいのか風邪をひくこともないようだ。女中さんから見ればママさんも息子二人も寝たきり状態ということになる。

■高級羽毛布団
日本では羽毛布団を使っていた。チェンライ市内はもちろん、チェンマイのエアポート・プラザなど高級デパートを探したが、羽毛布団は売っていなかった。タイでは需要がないのだろうか。2年ほど前、兄が日本から羽毛布団を運んできた。バブル時代には50万円はしたという高級品だ。カチカチの真空袋をあけるとふわふわの大きな布団が出現した。

母に羽毛布団をかけてあげたのに、1,2日で女中さんたちがもとの毛布や夏掛けに代えてしまった。こんなに頼りない軽い布団ではママさんが寒くてかわいそうだ、と思ったらしい。なんで羽毛布団を使わないのだ、と文句を言っても、多分、1,2日で毛布、夏掛けセットに代わってしまうに違いない。

布団に限らず、女中さんは保守的で、新しいものを好まない。食材にしても、自分が食べたことのあるものが中心だ。ジャガイモ、ニンジン、タマネギはめったに使用しない。自分で買ってくることもない。

保守的、頑固、自分の考えを押しとおす、というのはタイ女性の特徴らしく、邦人ブログのボヤキは、これに類するものが多い。

兄がこの寒さで、使わないのならと、仕舞い込んであった羽毛布団を自分で使い始めた。やはり暖かく、軽く、眠りの質が違う、とのこと。

■薬をやめて2カ月
レミニールという抗認知症薬をやめて2ヶ月たつ。毎日の世話をする女中さんたちが、投薬をやめてから、ママさん、よくなった、よくなったという。
大声を上げないことはないが、声も少し小さく幾らか穏やかになったような気がする。夜8時以降、静かに休んでくれるようになったのは何よりだ。夜通し、興奮していると本人も辛いだろうし、自分たちも気になる。

兄が帰国した時に医者に、処方薬を見てもらった。日本ではこんなに強い薬を、大量、長期間にわたって出すところはない、とのこと。薬をやめて病状が軽快するようならそれに越したことはない。

朝7時半にニイさんが来て、着替え、清拭、バナナ、お粥中心の食事、少し長椅子で休んだ後、ベッドで睡眠。昼食後はまた同じようにベッドへ。
夕方、整体のジェニさんが来て、女中さんと一緒に足や手の曲げ伸ばし。以前は立ったり、座ったりのトレーニングをやっていたが、もう歩くことは勿論、自分で立つことはできない。でも整体のお陰で、長椅子にしゃんと座っていられる。

風邪も引かず、今年もこのまま無事に過ぎそうだ。母に変わりがないなら、今年もまあいい年だったというべきか。

写真は日本祭りに来てくれたさくら寮の子供です。ラフのこも写っていますがやはりアカ族中心。