チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ホェイモ村再び

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ホェイモ村再び

■DVD到着
マスコミなど瓦版屋の末裔、羽織ゴロとか無礼の代名詞と思っている。ひげ面の小汚い若者が「あのー、XXテレビですけどぉ」などといってマイクやカメラを人に突き付ける。お前はテレビか、無礼者、名を名乗れ、と言いたくなる。実際に取材にあたるクルーは下請けか孫請けのプロダクション、ろくな社内教育も社会教育も受けてないだろうから、礼儀をわきまえていないのも仕方ない。

手前どもなど、お天道様に背を向けて暮らす社会底辺の日陰者でございます、といった節度をマスコミに求めたいのだが、今や「社会の木鐸」などと[上から目線」で庶民を見下す。政治家、芸人、評論家などマスコミに取り上げられれば、票や出演料、講演料が稼げるジャンルの人がいて、そういった人たちは持ちつ持たれつの関係があるから、マスコミを批判しない。批判にさらされないから、自分が偉いと勘違いする人もでてくるのだろう。

自分も新聞記者やテレビのディレクターになっていたら、かなり鼻持ちならない人間になっていたのではないかと思う。

というわけで自分はテレビに対して偏見を持っているので、ホェイモ村を取材したタイPBSのクルーが、出演番組のビデオを送るといってもあまり信用していなかった。でも、彼らはちゃんとDVDをIさん宅に郵送してきた。放映日の変更を予め通知してくれたし、さすが礼節の国、タイ、日本のテレビ局よりしっかりしているではないか。

■餅を食べる姿が
DVDであるから画面は鮮明だ。村人が山に入って4本の木を切り倒し、それをブランコに組み立てるまでの様子が紹介されている。山で伐り出され、男達に担がれてきた4本の木は、村と山腹を見下ろす小高い丘に運ばれる。柱を埋める穴に米や鶏卵を注ぎ、ピマと呼ばれる村の宗教指導者がお祈りを唱える。
レポーターのパットさんは、村長、大学の先生、アカ協会関係者のインタビューや解説を交えながら、テンポ良く番組を進めていく。4本の柱に取りついた男達が木のしなりを利用して先端部分を一つに合わせ、4方形の櫓を完成させる。それを見守る村人や子供たち。

櫓が組み上がったところでお茶や餅、果物が供される。
丁度この頃、我々2名がこの行事に合流した。昼過ぎでひもじかったので、勧められるままにゴマ餅を、お救い小屋のおかゆを食べる貧民のように食べた。金持ちと思われている日本人がひたむきに餅を齧っているのが面白かったのだろうか。パットさんが寄ってきて「タイ語は喋れますか」などと聞いてきた。これはDVDを見直してわかったことで、その時、自分は質問されていることも気づかなかった。同行のIさんは「はい、少しなら」とちゃんとタイ語で答えていたが、自分は無言で、ただ餅食うオジサンという設定になっていた。なんとも恥ずかしい。

■村に写真を届ける
カメラが連写設定になっていたせいもあり、ホェイモ村では写真を300枚以上撮った。連写だと中には1枚くらい上手く撮れているものもある。ブランコ祭りのレポートに添付した写真は自分の撮ったものばかりでなく、同行のIさんから提供されたものも少なくない。Iさんは写真撮影の趣味を持つ人だから、シャッターチャンスを逃さず撮っている。やはり慣れている人は違う。

せっかく撮らせてもらった写真である。数十枚、プリントして、村に届けることにした。10月は乾季明け前の雨天が続き、なかなか行く機会がない。国道3051線を右に折れて山道を30分ほど登るのだが、全部舗装されているわけではない。急勾配の泥道もある。4WDのカリビアンではあるがスリップすれば崖下に転落してしまう。

10月末日、こんなに遠かったかねえ、といいながら山道を登る。村へ着いた。全く人通りがない。森閑としている。午後2時くらいだが、アカの人はこの時間、殆どみんな遠くの農地に出かけている。どこのアカ村でも昼間、村にいるのは年寄りと幼児だけということが多い。

狭い道を遡って、プイヤイバーン(村長)の家に着いた。祭りのときに泊めてもらった家だ。車の音で村長本人が出てきた。冷たい水の饗応を受けながら、写真を見せる。この人はもう村にいない、この人はいる、この子は全寮制の学校に行っている、などと教えてくれる。
村長が写真をしかるべく配布してくれるというので、村を後にした。どの家でも筵で珈琲豆を干している。村は今、珈琲豆の収穫に忙しいとのこと。

目的を果たし、I さんと自分は今日の宿泊先、ソエッド・タイ村に向かう。別名バーン・ラップ・ライ(隠れ里)と呼ばれる、タイ・ミャンマー国境から13キロ離れた中国村だ。(続く)


写真は 上から「パットさんとのシーン」「餅食うオジサン」「アカの家」「村長」