チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

5年ぶりの日本

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5年ぶりの日本

■ 運転免許書換えのため
このレポートがアップされる10日にはもうチェンライに戻っているのであるが、9月末から10月初めまで東京にいた。運転免許の申請のためである。免許は海外に在住していることが証明されれば、有効期限切れ後3年までは書き換え応じてもらえる。その期間を過ぎれば免許は失効してしまう。タイで取った運転免許を日本の免許に書き換えるという手はあるが、この場合、日本で取った大型自動二輪の免許は消えてしまう。
日本で大型バイクを乗り回すことはもう無いと思うが、苦労して取った大型免許が消えてしまうのはちと寂しい。
それに「ふるさとへ回る六部は気の弱り」ではないが、5年近く帰っていない。今の日本は夏の暑さも過ぎ、寒くはなく、魚も果物も美味しい季節、帰りなんいざ、家の庭草も伸び放題であろう。

■初日の躓き
2週間以内でタイ-日本を往復すると航空券が少し安くなる。チェンライ、バンコク、成田と乗り継いでいくのであるが、まず初めからトラブル発生、チェンライからバンコクへの便が「テクニカル・プロブレム」で飛ばなくなったのだ。航空会社の手配でチェンライの最高級ホテル、デュシット・アイランドに宿泊させてもらった。バイキングの朝御飯も無料。

1ヶ月ほど日本に里帰りしていた友人に会ってみたら、まるでドラエモンのような体型、風貌になっていた。日本では食べるものが美味しいので、どうしても体重が増えるとのこと。

日本での肥りしろを作ろうと、チェンライで減量したつもりだったが、この朝のバイキングで帳消しになってしまった。何もそんなに食べなくてもいいのに、とも思うが、生まれつきであろう、つい、ウム、もう一皿挑戦するか・・ということになる。
午前中にバンコクに到着したが、成田行きの深夜便が出るまで、航空会社で空港近くのホテルを手配してくれた。昼食、夕食も無料・・・。

■鮫洲運転免許試験場にて
免許の有効期限が切れて3年経っているので、別室に呼ばれた。住民票が無いので現住所に住民票を持つ兄または母の印を押した「一時帰国証明書」がいるという。チェンライにハンコを貰いに帰ったのでは間に合わない。
問われるままに、タイに住んでいる理由を説明する。実は母が認知症で・・・。英語でもタイ語でもすらすら言える。30秒後、係官の態度が変わって、視力検査だけで免許が交付されることになった。お上にもお慈悲はあるぞ、ありがとうごぜえますだ、の一場面。

40年以上の運転歴があるのだが、免許は初交付扱いとなって、初心者講習を2時間受けた。勿論、講習料はしっかり徴収された。警察OBの説明員が「短い時間です、早口になり聞き取りにくいかも」といってものすごいスピードで話し始めた。確かに半分くらいしか分からない。外国人受講者が2名いたが99%理解できなかっただろう。

■久し振りの日本でカルチャーショック
なんといってもきれいである。カラフルである。品物があふれている。センスがいい。

チェンライだと自分も含め、8割以上の男女がTシャツに短パン、ペタペタサンダルだ。東京はズボンやスカートの人ばかり。それに靴を履いている。日本語を話しているので、言っていることが理解できる。

いまどき、切符買って乗る人なんかいないよ、と脅かされていたが、乗車券を買って電車に乗ることができた。どこの駅にもエスカレーターがあって、停止して乗る人、エスカレーターを歩く人と2つの列が出来る。凄い。これが日本の強さの秘密か。

電車の中で、あと10センチ座席近くに立てばいいものを、後ろを通る女性から「スミマセン」と声をかけられたり、エスカレーターでちょっと中寄りに立っていたため、肘が後ろから来た人のわき腹に触れ、「チッ」と舌打ちされたりした。長らく電車に乗っていないので、体が人の迷惑にならない「立ち位置」を忘れてしまったのだろう。

電車の中では吊り広告や壁広告を一つ一つじっくりと読む。タイでは赤信号で止まったとき、店の看板を読むことがあるが読みきらないうちに信号が変わってしまう。
JR車内には壁に液晶画面があって、秋の大根はなぜ辛いか、それは大根が夏に比べ、ストレスを感じるからです、とか、曇りの気象マークの謂われなどを教えてくれる。すばらしい。

日本滞在中、何人かの友人が宴会を催してくれた。ビールと刺身には涙が出た。スーパーに行っても食材の豊富さと美味しさに心を奪われた。何を食べても美味しい。人間、食べられる量が限られてしまうのが残念だ。

短期間ではあるが、みなの好意、またその証である3キロ増の体重とともにチェンライへ戻ることになる。

写真は東京滞在時のスナップ