チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ 4年8カ月

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介護ロングステイ 4年8カ月

■ケーキで誕生日を祝う
この9月で母は88歳の米寿を迎えた。日本にいた時、医師から83歳でお亡くなりになります、という御託宣を受けた。あれから5年、よく長生きしてくれたものと思う。誕生日にスウェンソンのアイスクリームケーキを買った。母は一口くらいしか食べなかったが、お裾分けに与かった女中さんは大喜びだった。

世の中、経済効率性が最優先で、それにに欠けるものは排除すべき、といった考え方が蔓延している。グローバリズムはその最たるものだろう。その考え方でいえば、高齢者たる自分や母は、経済的に社会に貢献していないのだから、早く退場してもらったほうが、世のため、国のためということになる。果たしてそうだろうか。

自分が若い頃、まだ戦争体験を持つ世代が現役で残っていて、そういう人たちが「軍隊式会社」を作った。朝礼、駆け足、社訓の斉唱、上意下達、見た目はキビキビしていて、これならば全社員一丸となって利益向上に邁進し、会社は大きく発展するのではないかと思われた。でも軍隊式の会社は殆どすべて姿を消してしまった。
偉大な統治者のもとで、労働者が希望を持って偉大な社会を建設しようという国も、いわゆる無駄や非効率とは遠い存在のように思えた。すべての人が平等という夢の社会が来るという幻想を多くの人が持った。その思想に共鳴し、あたら青春を無駄にした若者も少なくない。

■生きていてくれるだけで
母はもう歩くことはできない。食事は長椅子に座って食べる。女中さんが匙でお粥を口に運び、注射器を使って水を飲ませる。時に咳き込むことがあるが、誤飲というほどのこともなく、咳が収まれば何事もなかったかのように食事を続ける。あー、と女中さんが言えば口をあける。ママサン、オイシ、オイシという女中さんの呼び掛けにしきりに頷いている。
食事が終わるとしばらく、長椅子に座っている。そのあと、女中さんにベッドに寝かせてもらう。食事の後は静かに寝ていることが多い。

このような母ではあるが、自分たちや女中さんは今日も元気でよかった、ちゃんとご飯を食べてくれたと幸せな気持ちになる。弟夫婦が来た時、どうしたわけか、母が声をあげて笑った。ニイさんはママさんが笑った、ママさんが笑った、と涙を流して喜んでくれた。

全体主義共産主義も、そしてグローバリズムも母のような存在は無駄だというだろう。しかし、どんな状態であっても母は我々に幸せをもたらしている。生きてくれている、それだけで有難いと思う。人間、効率性だけで生きているわけではないのだ。

■タンブンは無駄か
タイの庶民は少し金が入るとお寺にタンブンしてしまう。そんなお金があれば、と考えるのは自分だけではないだろう。でもお金を差し出すことによって、タイ人は大層幸せな気持ちになるようだ。月に4回、満月、新月、半月の日がワン・プラ(お寺の日)になっていて、タイのカレンダーにはその日にお寺のマークが付いている。女中のブアさんはワン・プラにタンブンを行う。その日は朝からウキウキしていて機嫌がいい。インスタントラーメンやジュースなど供物が載ったお盆を持ってきて、母には「健康になりますように」、自分には「お金持ちになりますように」と言って拝ませる。母の健康はともかくとして、タンブンを積んだからといって自分の金回りがよくなるとは思えない。

でもタイ社会では、タンブンのように経済効率性から見て無駄と思われることが、人の幸せと社会の安定に役立っている。

■ナチと逆の思想
ナチスユダヤ人だけを虐殺したのではない。社会的に無駄と思われた障害者、精神病者、浮浪者や乞食、さらには同性愛者や老人ホーム、養護施設収容者も死に追いやった。生きているに値しない、という理由だが、健康で優秀なエリートが極端に走ればこのような考え方になる。
虐殺された人の近親者、友人も「あの人は生きているに値しない」と思ったのだろうか。無駄の排除はこのような恐ろしい社会を形成することがある。

タイでは乞食はいるし、オカマは街でも学校でも堂々と闊歩している。人はすべて生きるに値するという思想があるようだ。
ゆったりと異質なものを暖かく包み込む、これが住みやすいタイの社会を形成しているといえる。あまりにも寛容すぎてグローバリズム信奉者から見れば、歯がゆいことおびただしいことだろう。

でも無駄だらけの社会であるからこそ、こうして母が静かに余生を送ることができ、我々も介護生活を楽しんでいるわけである。タイがグローバリズムとやらに毒されないことを祈ってやまない。


写真は前回のホェイモ村ブランコ祭の続きです。