夏の終わり
■ 夏休みの宿題
今夏の日本の暑さは半端ではなかったらしい。東京の最低気温が27度、28度と言ってもヒートアイランド現象で、実際は深夜から朝にかけても30度を越えていたのではないか。
チェンライの8月における平均最低気温は23度、最高気温は31度となっている。スコールがあるとぐんと涼しくなるし、朝は夏掛けがいるほどの肌寒さを感じることがある。日中でもクーラーなしで過ごせる。この夏は日本からチェンライに避暑に来てほしいくらいだった。
8月というと夏休みの宿題を思い出す。今ではちゃらんぽらん老人と言われているが、小学生の時はかなり几帳面な性格だった。夏休みの宿題帳は7月中にほとんど全部やり終えていた。しかし、算数のページとか絵の宿題が残ってしまう。8月末になると宿題の残りをどう片づけるか頭を痛めた。提出日は登校日の9月1日ではなく、2,3日後であったので、9月初めの日曜なども片づけ予定日に入れていた。1,2日、提出が遅れてもとがめられることはない。それも計算に入れていた。だから今年のように9月2日が月曜だと、目の前が真っ暗になってしまう。もう小学生でなくて良かった。
タイの夏休みは3月から5月にかけてであるから、7月、8月、子供たちは登校していている。
ああ、日本は夏休みなんだな、と感じるのは、スーパーやレストランで日本人の学生や家族連れを見る時である。チェンマイならいざ知らず、チェンライにまで日本人観光客が来るようになった。結構なことである。学生さんたちの会話を聞いていると、山岳民族の村やバンコクのスラム街を訪問しているようだ。近頃は、海外ボランティアも大学の単位と認められるそうだ。タイは比較的安全だし、食べ物はおいしい。特に雨季は果物が豊富に出回るから、夏休みをチェンライで過ごし、ついでに単位を貰うのはいい考えだと思う。
■世捨て人と情報
最近、中韓の批判レポートを書いているが、いつも憂国の情に駆られて、憤激しているわけではなく、窓からぼんやり小雨が降る様子をを眺めていることもある。時には料理を作ったり、サッカー応援にスタジアムに繰り出すこともあるが、社会のお役に立つようなことは何もしていない。ひっそりとお天道様に背を向けながら、異国の片田舎にうずもれているといった感じだ。こういった生活が身の丈に合っているような気がする。
数十年前であったなら、片田舎に引っ込めば、もう世捨て人。情報から疎くなり、友人からも疎遠になり、今浦島と言われるほど、時世についていけなくなったであろう。
しかし、今はネットの時代、タイの田舎でMBLの試合も、北九州、山陰の豪雨被害状況もリアルタイムで見られる。昔は主たる情報源は新聞、テレビ、一般刊行物だったが、今ではマスコミが知らせたくない情報までネットで入手できる。
■左翼のレッテル、ネトウヨ
2年前の夏、プラカードや日の丸を手にした人々がお台場、フジテレビ前の歩道を行進し歓声を上げていた。週に40時間も韓流ドラマを垂れ流し、フィギュア・スケートでキム・ヨナ選手が優勝した際には、韓国国歌もウイニング・ランもノーカットで放送するのに、安藤美姫選手や浅田真央選手が優勝した際には国旗掲揚、国歌斉唱ともカットするフジテレビの報道姿勢に抗議するデモだった。
交通費も何も出ない、すべて自弁のデモに一般国民1万2千人が参加した。若い人が多く、また女性も4割ほどいた。日の丸やプラカードをもっていなければ、若者向けのショップやカフェで働いていそうな垢抜けた青年が多い。(国際人養成講座、「偏向マスコミへの公憤」より)
デモに参加した若者たちはネットでマスコミには出ない情報を共有していた。ネトウヨと呼ばれる若者は「無職、引きこもり、低学歴、社会の底辺層」と言われている。しかし実際にネトウヨ千人にアンケート、面談取材した古谷経衡氏によれば、左翼の誹謗とは対照的に、高学歴、高収入、海外経験有り、異性を含む友人多数という人が多かったという。(ネット右翼の逆襲、総和社刊)
今時の若者はマスコミを信用していない。伝えるべきことを伝えないマスコミに対して公憤を覚えている。この夏、タイで色々な経験をした学生さんたちもきっと、日本の良さを再認識し、マスコミ報道とは違う自分の意見を持つようになってくれると思う。
世捨て人と言っていい自分も、ネットのお陰で、引用中心のレポートを何本も書かせてもらっている。
そういえば夏休みの宿題に作文があった。今ならネットを利用して作文を仕上げる小学生がいてもおかしくはない。
写真三枚目は「アチャナ仏の手」、一番下は「スコタイアチャナ仏」