チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

勝てば解放、負ければ侵略(続)

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勝てば解放、負ければ侵略(続)

■無駄な議論
歴史とは勝った側の歴史であり、勝者は正義を敗者に押し付けることができる。悔しいけれど仕方がない。しかし、一度、戦いに敗れたからと言って奴隷になったわけではない。
日本を永久に保護国としておきたい国や、日本を貶めることによって快感を得る国がいう歴史認識や侵略の定義を正義として受け入れなければいけないという道理はない。
歴史認識とか侵略と言われても時代により、国によりその見方は違う。

昔、あるところで竹島問題の理不尽さを指摘したところ、「隣の国とは仲良くしなけりゃいけないんだよ」と面罵されたことがある。みんな仲良く、という人に限って、まず話し合いましょう、という。話し合って、なるほど、韓国や中国に非がありますね、隣国とはいえ、付き合いには注意しなければ、というには結論にはならない。左がかっている人はまず自分の信じる教義(正義)があって、それに逸脱する考えはすべて異端である。

自分も媚中派、親韓派の人と議論したからと言って、なるほど、竹島尖閣諸島はもちろん、対馬や沖縄も献上して隣国と仲良くしなければいけませんね、などと言うわけない。だから相手の言うことに納得しないという点ではお互い様と言えるかもしれない。

でも教義をぶつけあうだけでは生産的でないし、周りもうんざりする。もし、議論をするつもりなら、信頼に足る文書や国際条約、領有を主張し始めた時期とその理由、ここ2,3百年の国際状況などを押さえておく必要はある。相手は聞く耳持たなくても、周りには、理非曲直を冷静に判断してくれる人がいるかもしれない。周りの人を大陸、半島以外の国と置き換えてもいい。

■苛めにあう留学生
欧米に留学している邦人留学生が中国人や半島人の苛めにあい、「申し訳ありません、私たちの先祖はアジアで酷いことをしました」と泣いて謝っているという。日本では日本史、世界史を紀元前から近代に向かって習うので、昭和史まで行かないうちに3学期が終わってしまう。その点、隣国では現代史から教え始める、ということは反日洗脳教育をしっかり受けていて、日本をこきおろす種には事欠かない。

日本の若者は一方的に断罪されても歴史的知識が全くないので反論のしようもなく、言われるがままに謝罪する結果になる。情けない話だが、こういった体たらくを学校や国のせいにするのはどうかと思っている。

海外で暮らそうという人は、明治以降の歴史を知っておくべきだと思う。その気になれば本やネット、また周りの人からでも歴史認識は一つではない、と学べるはずだ。
そして異国にあって国や祖先に対する言われなき中傷を受けた時には、敢然と反論できるようにしておくべきではないか。

いくら留学をしたところで、「アイムソーリー、我々の祖父たちは仰るように殺人鬼で強姦魔ばかりでした」としか言えないのでは、その人の人格はもちろん、国の品格まで疑われてしまう。日本を代弁できなくて、何のための留学か、と言いたくなる。

■謝ったところで・・・
例えば、韓国に対して、併合時代を含めて日本の援助に感謝し、これまでの非礼を詫びてほしいと自分は思っている。ところが現実は逆で、大統領が変わるたびに日本は謝り続けている。日本では謝罪すれば後は水に流して、それこそ日韓新時代の始まり、と考えがちだが、朴槿惠大統領は千年経っても被害者として怨み続けると言っている。謝罪は無駄だったし、これからも意味がないと思う。

呉善花拓殖大学教授は「日本の政治家はこれまで謝ってきたけれども、いまなお韓国人が謝罪を要求するのは、その謝り方が韓国式の謝り方ではないからである。ではどのような謝り方をすればいいのかといえば、土下座をして、手をすり合わせながら涙を流し、繰り返し「悪かった」といったうえで、日本の領土の3分の1ほどを差し出す、これである」と述べている。
これは李明博前大統領の天皇陛下への侮辱発言、「日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い、 重罪人にふさわしく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話だ」と符合する。

このような国とでも仲良くしなければいけないのか。
古田博司筑波大学大学院教授は「助けず、教えず、関わらず」で韓国の甘えを断ち切れ、と述べている(2013.2.22付、産経新聞正論)が、これは福沢諭吉が時事新報に書いた「脱亜論」の趣旨と同じである。130年も経つのに何も変わっとらんな、と福沢先生があの世で苦笑いしておられることと思う。


写真はスコタイ近くのシーサッチャナライ遺跡です。