チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

福沢諭吉の炯眼

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福沢諭吉の炯眼

■ 国の品格に泥を塗った
韓国の朴槿恵大統領の訪米に同行していた尹昶重大統領報道官が、在米韓国大使館の女性実習生の尻を触ったとして更迭された。尹報道官は現地警察当局の事情聴取を避けるために身一つで米国から逃亡した。尹氏はソウルでの記者会見で「(実習生の)腰を1回突いただけだ」とセクハラを全面否認した。だが、前代未聞のスキャンダルに韓国メディアは「国家の品格に泥を塗った」などと激しい非難を展開している。

米韓同盟の強化を強調し、米上下両院での英語演説など“指導者の風格”を誇示、国際舞台での日本の歴史認識批判にも成功し、存分にイメージアップを果たした今回の訪米。しかし帰国直後に朴大統領は一転、窮地に立たされることになった。

このニュースを聞いて、あれ、あの国に「国の品格」なんてあったっけ?と思った。対馬の仏像を盗んだ窃盗犯を義賊扱いし、仏像の返却に応じない、竹島は韓国の領土と言い張って、国際司法裁判所の提訴にも応じない、天皇が土下座して過去を謝罪すれば訪韓を受け入れてもいいという前大統領の暴言、靖国参拝の執拗な非難、靖国参拝を理由に外相会談を一方的に中止するという外交上例のない非礼。そもそも会談は韓国からの依頼によるものだった。
非礼と言えばこんなこともあった。朴政権発足に先立って、安倍首相は1月に額賀元財務相を特使として韓国に派遣した。特使は外交官より格上であるから、通常はVIP専用通路を通って入国する。しかし韓国は額賀氏をあえて一般通路に案内、待ち構える反日団体の無礼な罵声の前に曝した。額賀氏がそのまま踵を返して帰国すべきだったという外国人もいる。

韓国は強いものには阿り、親切にすればそれは相手が弱く、自分が強いせいだと嵩にかかって善意に付け込む。救いがたい国であって、品格があるとは全然考えていなかった。

■福沢の予言
もうひとつ、さっぱり品格を感じさせない国がある。尖閣諸島のみならず、沖縄も自国領土と言いだした中国だ。国連で外相が日本を口汚く盗人呼ばわりする。中国にとっては歴史的事実、学問上の証拠、過去の条約などは何も意味を持たない。今現在、強いものが主張していることが正しい。小国は大国の言うことに反論すべきでない、中国はベトナム、フィリピンとの南沙諸島問題でこのように発言した。これが、覇道国家中国の本音である。

政治家には歴史観と大局観が必要であるが、そのよい参考文献がある。
福沢諭吉先生の「脱亜論」の文章だ。大論文ではなく、明治18年3月16日付の時事新報に載った社説である。原稿用紙にして僅か5枚半、短文であるが格調高く、読むたびに居ずまいを正す。左翼はこの一文を帝国主義への進軍ラッパというが、その印象は全くない。ごく常識的なことが書かれている。一部を現代語訳から拾ってみる。

「わが日本の国土はアジアの東端に位置するのであるが、国民の精神は既にアジアの旧習慣を脱し、西洋の文明に移っている。 しかしここに不幸なのは、隣国があり、その一を支那といい、一を朝鮮という。

日・支・韓の三国を並べれば、日本に比べれば支那・韓国はよほど似ているのである。この二国の者たちは、自分の身の上についても、また自分の国に関しても、改革や進歩の道を知らない。耳や目の見聞は心を動かすことにならず、その古くさい慣習にしがみつくありさまは、百千年の昔とおなじである。

支那、朝鮮は)一から十まで外見の虚飾ばかりにこだわり、実際においては真理や原則をわきまえることがない。そればかりか、道徳さえ地面を這うように残酷破廉恥を極め、なおふんぞり返って反省の念など持たない者のようだ」

社説の最後はこう締めくくられている。
「現在の戦略を考えるに、わが国は隣国の開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はないのである。むしろ、その仲間から脱出し、西洋の文明国と進退をともにし、その支那、朝鮮に接する方法も、隣国だからと特別扱いするに及ばず、まさに西洋人がこれに接するように処置すべきである。悪友と親しく交わる者も、また悪名をまぬかれない。筆者は心の中で、東アジアの悪友を謝絶するものである」

福沢は「文明論の概略」の中で支那、朝鮮との貿易は活発に行うべし、と言っているし、「心の中で謝絶する」だけで、両国と断交せよとは言っていない。ただ、特別に援助すれば恩義に感じてくれるという幻想は捨てるべき、と言っている。それは朝鮮の独立運動を支援して、そして裏切られた彼の本音だ。130年も経つのに、まだ日本は支那、朝鮮を特別扱いする愚を犯しているのか、と草葉の陰で福沢は言うだろう。


写真はスコタイ近くのシー・サッチャナライ遺跡公園のものです。