足を引きずってコンサートへ
■貴重な休日
12月に足を折って、1月間ギプスをはめていた。当然、テニスにもタイ語の授業にも行けない。友人からは神様のくれた貴重な休日だからゆっくり休むように、と有難い言葉を貰った。
60歳で仕事を辞めてから、毎日が休日のようなものであるが、足を折ってからも気ぜわしく日が過ぎていく。
まず、週に何回か女中さんの買い物に付き合わされる。女中のブアさんはバイクの免許を持っていない。もう何回も警察の検問に引っかかって、その度に200Bの罰金を払っている。大きなスーパーのある市内には警察が張っているからバイクでは行きたがらない。
仕方がないので、ギプスをしている時からオートマチックの車で一緒に買い物に行った。療養中は暇だと思われたらしく、遠くのお寺や実家のある村にも付き合わされた。
1月の中旬にギプスが取れた。少しでも早く歩けるようになろうと、2週間で松葉杖と縁を切った。家の周りやスーパーを進んで歩くよう心がけた。
無理して自転車レースやゴルフの見物に行ったのも1月末から2月にかけてだったと思う。
■有名歌手を見に行く
丁度その頃、チェンライの旧飛行場(今は使われていない)でチェンライ建市750年祭のイベントが開かれていた。滑走路であったところに1キロ以上にわたって露店が出る。そして、毎晩、歌謡コンサートがある。公演会場は露店アーケードのはずれ、舞台の上にはおびただしい数のスピーカー、会場は高い塀とフェンスで区切られている。すべて立ち見の野外ステージである。
前々からブアさんが有名歌手が来るので、是非行きたいと言っていた。バイクで行ってきな、と言ったのだが、夜のバイクは危ない、一緒に行ってくれ、歩く練習にもなるなどという。月30日24時間労働であるから、これくらいのサービスは仕方ないかと思い、付き合った。
歩けるがまだ本調子ではないので、ブアさんがプラスチックの椅子を持って人ごみの中を先に進む。入場料は一人30B,この夜の出演はマイ・ジャルンプラという女性歌手。後で見たが「指さしタイ語会話帳」の音楽のページに彼女の名前が出ていた。
前座の下手な歌手が引っ込んで、マイが出てきたのは9時過ぎだった。ポスターでは妖艶な美女であったが、現物は40過ぎの梓みちよみたいなおばさん。バックダンスのお兄ちゃん達を従えて、パンチの効いた歌を歌う。観客がのってきたと見ると一緒に歌おう、と会場にジェスチャーで促す。サービス精神旺盛だ。ステージ下に観客が駆け寄って、花束やレイをマイさんに渡す。中には100B札を差し出す観客も。マイさんは歌を歌いながら差しだされたお札を大きく開いたドレスの胸に次々に突っ込んでいく。タイではスターとファンの関係は近い。
■超有名歌手登場
750年祭の最終日を飾るのはカラバオのコンサートだ。カラバオはタイを代表するロックバンド。30年を超える活動歴がある。彼の歌は「プレーン・プア・チーウィット」(生きるための歌)といわれ、貧困、対立、望郷など社会の抱える様々な問題がモチーフだ。
この夜も椅子を持ったブアさんに同行、入場料はマイより10B高い40B、カラバオは60歳くらいだし、観客は中年以上ばかりかと思ったら、ほとんどが20歳以下の若者、観客数もマイの時の数倍に膨れ上がっている。会場内を缶ビールの売り子が行きかっている。7,8割の観客が既に酔っ払っている。異様な雰囲気だ。会場には警官隊が目を光らせている。ロックに合わせて体をゆすっている警官がいるのもご愛敬だが、彼らの後ろに椅子を置いて腰を下ろした。
30年も続いているバンドだから、メンバーはそれなりの年、タイの横浜銀蠅といった感じか。音楽を聞くよりも泥酔した若者グループが暴れ出さないかとそのほうが気になった。
というのはこの公演の2週間ほど前にバンコクで行われたカラバオのチャリティコンサートで観客が暴徒化し、公演が中止に追い込まれてるからだ。
対立する職業訓練校の生徒が会場で鉢合わせし、カラバオが3曲目を演奏している時に喧嘩が始まった。空き瓶が飛び交い、爆竹が鳴り、会場は騒然、カラバオが演奏を中止して引き上げると、混乱は更にエスカレート、3時間後に警察が催涙ガスを打ち込んで、暴徒を解散させた。
3時間も警察が事態を傍観していた、と非難されたものだから、チェンライの会場では警官が多数警備していたのだろう。幸い、事故もなくコンサートは無事終了。泥酔した観客は2人乗り、3人乗りのバイクで深夜の道を帰って行った。
酒酔いによる交通事故があったかどうかは知らない。
写真上から「金魚すくい」、「マイ・ジャルンプラ」二枚、」「カラバオ」二枚。