チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

骨折その後

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骨折その後

■ 自宅療養
昨年12月13日に左足首を骨折した。テニスで深いロブを追っかけている時、左足首が外側にスリップし、曲がったまま固定した足首に全体重がかかった。転んで足首を見てみたら、足の裏が90度外側を向いていた。
テニス仲間が呼んだ救急車で病院に運ばれた。腰椎麻酔で2時間の手術、金属製のプレートと釘で骨を固定した。入院は4日だけ。膝下から足先までギプスで固められ、松葉杖と共に退院し、あとは自宅療養。

骨折は時間が経てば骨がくっついて必ず治る。ただしばらくは不自由な生活を強いられる。自分の部屋は2階にあり、階段を松葉杖を使って上り下りする。転げ落ちたら両足骨折で車いす生活となる。そのうち松葉杖使用のコツがつかめ、リズミカルに階段を上り下りできるようになった。松葉杖を支点にして体を振り子のように振ってかなり早く移動できるようにもなった。これは歩くより早いのではないかと、一時はストックホルム症候群のように松葉杖に感謝したものだ。しかし、両手杖は、台所に行って氷を入れたグラスを、あるいはビール瓶を持ってくるという作業ができない。不便なものだ。
骨折は消化器官とは関係がないので、飲食には全く支障がない。カルシウムを含む小魚はつまみとして最適であり、退院後も酒の切れる日がなかった。

怪我しなければ、メコンの夕日を眺めながらの忘年会、チェンライ時計塔のカウントダウン、ドイワーウィーの民俗祭り、プーチーファの桜見物等、あちこちに出かけていたと思うが、今年はひたすら自宅療養の身。支障なく歩ける、という幸せな日々に戻れることを夢見て静かに過ごした。

■ギプスを外す
骨折後、5週間で骨がくっつく。やっとギプスを外してもらった。足首は紫色に変色して腫れ上がっている。傷口に抜糸の時の血がこびりついていて垢だらけ。見るからに汚い。主治医はレントゲン写真を見ながら経過は順調、後は積極的に歩くように、ひと月たったらまたおいで、それで終わり。

病院を出たその足で、バンドゥーの温泉に行った。シャワーは毎日浴びていたが、風呂に入るのは3カ月ぶりである。北タイは東ヒマラヤ山脈のふちに位置している。今でも造山活動が盛んであるから、たまに地震はあるし、各所で温泉が噴き出している。自宅から十数キロのバンドゥーにはかけ流しの弱硫黄泉がある。ギプスが取れたら行こうと楽しみにしていた。

両手杖でおぼつかないながらも風呂に首までつかる。生きていてよかったと思う瞬間だ。決して自分は成長期ではないのだが、人間の新陳代謝には瞠目するものがある。足の皮膚が蛇の皮のように剥がれ落ちた。乾かして財布に入れておこうかと思うほどだ。個室風呂で本当に良かった。温泉は1部屋50Bの個室のほかに野外の足湯がある。足湯は無料。温泉はリハビリに最適というので、この日から毎日のように足湯または朝湯に通った。こういう贅沢ができるのもチェンライに住んでいるおかげである。

ネットには骨折サイトがある。人様の足首骨折記は面白く、また大変参考になった。同じような回復経過をたどっていくのだが、自分と違って通勤に苦労している人が多い。松葉杖をついてバス、電車を乗り継ぎ職場に向かう、ときには出張もこなす。ああ、もう自分にはそんな生活はできない。みんなよく働いて偉い。

■2週間で松葉杖不要
ギプスが取れたその日から散歩を始めた。まずは両手杖、少しずつ左足に重心をかける。1月歩いていないものだから脹脛(ふくらはぎ)の筋肉が張って、休み休みでないと歩けない。通常、5分ほどで歩ける団地の1ブロックを回るのに30分ほどかかった。しかし3日後は18分、1週間後は8分となった。それも松葉杖1本だけだ。

2週間たったいまでは松葉杖なしで歩ける。1時間くらい歩いても疲れないほど筋力が戻ってきた。紫色に変色し、人様には見せられなかった足も連日の温泉通いできれいになって来た。日々回復が実感できるので気分まで明るくなってくる。
友人とラチャバット大学の図書館に行った。1階から4階まで階段を上ったが、特に問題はなし。
ただ、まだ足の腫れが引かず、足首の可動範囲が狭い。よって速歩は無理、見るからに身障者という歩き方になっているが、あと10日もすればすたすた歩けるだろう。

骨折サイトでも多くの人が書いている。骨を折ってみて日ごろの健康に感謝、また不自由な身を案じてくれる多くの人に感謝・・・・

団地内を歩けば、あちこちから励ましの声がかかる。袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知らるる、ではないが、不便な生活の中で多くの人の優しさを実感した。有難いことである。


写真はバンドゥーの温泉