チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

正義と日本の将来

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正義と日本の将来

■それでも「なぜ?」
正直なところ、政治、外交関係について書くことは好きではない。まず、自分が考える程度のことは、すでに誰かが書いている。何だ、同じこと書いているじゃないか、パクッたのではないかと思われる。

次に、世の中いろいろな考えの人がいる。誰もが自分の意見に同調してくれるとは限らない。思想、信条が異なる人の中には暗い情念を持つ人がいて、反論の代わりに人格攻撃をし、はてはお前など死ね、などと言ってくる。自分だってそのうち死ぬが、あまり人から言われたくない。但し、自分も民主党のHさんやKさんを見ていて「死んでほしい」と思ったことがあるから、人のことはとやかく言えない。

3つ目は、これが一番大きな理由という気がするが、タイの片田舎で一人悲憤慷慨していて何の意味があろうかと無力感にとらわれるからだ。

しかし、海外に暮らしてみると、今更ながらに日本の良さ、素晴らしさを感じる。逆に日本を貶めるマスコミに反感を覚える。何のトクがあって自分の生まれた国を悪しざまに言うのだろう。日本人にとって日本は誇りの持てない国なのだろうか。

■正義
子供の時からテレビ、漫画などで「正義は必ず勝つ」と学んできた。正義が必ず勝つのであれば、負けたら正義ではなく悪であったという考え方になる。

昔、小学生の息子が「日本は悪いことしたからアメリカに懲らしめられたんでしょ」というので愕然としたことがある。これが「東京裁判史観」というものだ。東京裁判自体、法理学の原則を無視した復讐劇で「正義」とはほど遠いものであった。
しかし勝てば官軍というように、負けたら勝者の考え方を押し付けられる。しかし押し付けられた考え方が正しいかどうか、正義であるかどうかは別だ。

先の戦争は日本に正義がなかったから負けたのではない。正義という意味で言えば、日本は第一次大戦の講和会議で世界に先駆けて「人種平等」を提案した。人種差別を国是とする米国に提案は退けられたが、大東亜戦争の開戦詔書ではアジア諸国の独立を掲げている。

米帝国主義国には面白くなかっただろうが、戦後、アジア、アフリカ諸国は続々と独立した。人種平等、民族自決という意味では日本に開戦の正義があったと言える。

■領土問題
山本夏彦翁に言わせれば「正義とはいやなもの」である。東京裁判も正義ならば日本の開戦も正義である。正義とか正しいことは一様でない。

時折、古文書や条約、地図で尖閣諸島、あるいは竹島が古来から日本領土であることを示す資料が出てくる。学問的には妥当なものだ。一方、中韓は領土問題で「議論の余地なき主権、十分な歴史的証拠」をことあるごとに主張するが、証拠を示したことがない。俺のモノは俺のモノが彼らの正義である。誠意を尽くして説明すれば必ず相手に分かってもらえる、正しいのはこちらなのだから、この日本の外交の基本姿勢は、少なくとも領土問題で効果があったとは思えない。

靖国神社に放火した刑事犯の中国人を韓国は日韓犯罪人引渡協定に反して中国に送り返した。事大主義の復活だ。半島をめぐる政治情勢は1880年初頭の日清戦争前夜を思わせる。歴史は繰り返す。日本も再び富国強兵の道を進むしか道はないのか。

■愚直な努力は必要だが
中国、韓国から世界に目を向ければ日本の誠意、善意、勤勉さ等、日本の美点をを評価してくれる国は少なくない。

英国BBC放送が定期的に行っている世界世論調査では、主要国に対する各国国民の評価(世界にプラスの影響を与えているか、それともマイナスの影響を与えているか)を調べている。27カ国の国民によるアンケート調査であるが、日本はカナダ、ドイツと並んで常に「評判のいい国」のトップクラスに位置している。(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8015.html

また、国が世界に対していい影響を与えているか、という評価を世界の評価と自国民の自己評価を並べているグラフもある。それによると日本はいい影響を与えているという評価は世界が53%に対して日本人の自己評価は43%と控えめである。世界評価よりも自己評価が低い国は調査対象27カ国の中で日本だけであった。
因みに中国は世界評価41%に対し、自己評価81%、韓国は世界評価32%に対し自己評価76%となっている。

子供の時、「見る人は見ているのだから、恥ずかしくない行動を」と言われたものだ。日本は戦後、振る舞いに気をつけ、見返りを求めない援助をし、経済で世界に貢献してきた。

見る国は見ている。尽くせば分かってくれるという愚直な努力を今後も続けていくべきであると思う。
しかしながらそれだけでは世界から尊敬される国にはなれない。そういう時代に我々は生きている。


写真はいろいろな寺のお釈迦様ですがすべて「触地印」をとっています。