■アランと再会
チェンライ国際空港のゲートからのっそりとアラン・スコットが現れた。長身だからすぐわかる。グリーンの長そでシャツにジーパン、大きなリュックを背負い、もう一つリュックを持っている。この恰好で山に入るのか。通常の大きさのリュックは防水仕様で一眼レフカメラや貴重品が入っている。この旅行で、このリュックを自分がしょって山道を上り下りすることになろうとはこの時は知る由もなかった。
ちょうど昼飯時であったので、兄と3人でチェンライで食事をした。アランはメルボルン出身。メルボルンと聞くと1956年に開催されたメルボルンオリンピックを思い出す。鉄棒の小野喬、レスリングの笹原正三等が金メダルをとった。男子競泳1500m自由形で、山中毅がクイックターンができないばかりに、豪州のマレー・ローズに負けてしまった。雑音の混じるラジオの実況中継に興奮した覚えがある。
メルボルンオリンピック?生まれていたけれど小さかったからよく覚えていないよ。アランはだいぶ年下なのかもしれない。
今回の旅行は3週間ほど、北ラオスのボケオ、ウドンムサイ、ポンサリ3県に点在するアカ族の村を訪ねるというものだ。場所によっては食料をしょって3日ほど山を歩くことになるという。もちろんホテルはなくアカ族の家に泊めてもらう。詳しい日程はこの日、ラオス、タイの国境の町、フエサイで落ち合うラオス人ガイドと一緒に決めるという。アランはガイドを雇ってウドンムサイ、ポンサリに行ったことがあるらしい。ガイド料は1日30ドル、そのほかガイドの食事代、宿泊費、雑費は雇い主持ち。この費用の折半が同行の条件だった。月末にチェンライに戻ってくる用事があるから全行程は無理だが、最長2週間くらいは付き合える。
チェンライから出入国事務所のあるチェンコンまでは141キロ、兄に車で送ってもらった。チェンコンから小舟で対岸のフエサイに渡る。舟賃は40B(100円強)。
フエサイの船着き場を上がってラオス入国の手続きをする。日本人は無料で14日間のビザが自動的に貰える。アランを始めファランは30ドルのビザ代がかかる。入国管理制度は相互主義だから、オーストラリアはラオス人の入国に厳しいんじゃないの、と不満そうなアランに言った。
■まずはビヤラオ
フエサイのホテルはメコン川と平行に走る街のメインロードを船着き場から300mほど北に上がったアミッドホテルだ。アランの常宿だが、自分も泊ったことがある。竹壁のロッジ、温水シャワー付き、一泊360B(900円強)。
フエサイでは夜にガイドと落ち合う以外には何もやることはない。まずはビヤラオだ。東南アジアで一番おいしいといわれるビール、ビヤラオが飲める。昼飯の時は運転があるからと我慢していたのだ。3時半とまだ日は高いのだが、メコンに張り出したテラスで飲み始めた。
アランとは一昨年に一度会っただけと書いたが、実際は3回会っている。初めはフエサイのルアンナムタ行き長距離バスターミナルへ向かうソンテウの中、ここでムアンシンで満月祭りがあると聞いた。次はムアンシンの祭り会場の山道を下りている時、長身のアランが登ってきた。この時、アランはマンフレッドと立ち話をしている。3度目はルアンナムタからフエサイに戻るミニバスの中だった。
そういえばこのレストランでお前に昼飯、おごってもらったことあるよな、どうしてだっけ?
アランの情報で、一緒に祭りに行ったオーストリアの退職判事ご夫妻が、晩飯をおごってくれた。そのお返しだよ。ムアンシンで会ったろ。
えっ、オーストラリアの判事さん? 俺、話したっけ?
オーストラリアじゃない、ヨーロッパのオーストリアだよ。
そう、そう、こんがらかって困るんだよ、いっそのこと、あの国がオーストラリアと国名を変えてくれればいいんだが・・・
■アカ授業
アランの趣味は少数民族のポートレートを撮ることだ。アカ族だけではなくインドのナガ族の撮影に行くこともあるという。ナガ族もアカ族と同じようなヘルメット状のキャップをかぶる。顔のアップを撮るには確かに「絵」になる気がする。写真コンテストに出して数回賞をもらったことはあるが、面倒だから最近は出さないし、個展も開いたことはないという。来年60歳になる。だんだん設計士の仕事を減らして65には完全に引退生活に入りたい、という。
話しているうちに彼のアカ族に対する関心は写真撮影に限られていて、アカ族の歴史、文化、伝統、慣習、あるいは差別、貧困といった厳しい社会環境についてはほとんど知識がないことが分かった。
グラスを傾けながら、民俗学者ポール・ルイスの受け売り授業が始まった。(続く)
写真は上から「ビヤラオとアラン」「GHの壁」「チェンコン、イミグレ」「渡し船」