チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

大御心と侍の気概

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

大御心と侍の気概

■国と民を思う心
9月13日アップのレポート、「国難と自己犠牲」の中で蒙古襲来の折、朝廷と鎌倉幕府、そして御家人が一致協力して元、高麗、南宋の連合軍を打ち破ったと書いた。

時の亀山上皇後宇多天皇伊勢神宮石清水八幡宮を始め、全国の社寺に「わが身を以って国難に代えたまえ」と国家安泰の祈願をされた。その時の宣命が残っている。自分の命を捧げるから、国を、国民を守って下さいという自己犠牲の発露だ。この天皇の民を思う心は連綿と続いている。

昭和20年9月、天皇マッカーサーのもとを訪れた。マッカーサー天皇が命乞いに来たのだろうと、傲岸にマドロスパイプを咥え、ソファから立とうともしなかった。

直立し、国際儀礼に則った挨拶をされたあと、陛下は言われた。
「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります」

「しかしながら、罪なき八千万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えぬものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住にご高配を賜りますように」

陛下のお言葉に打たれたマッカーサーは「神のような帝王の姿を見た」と日記に書き残している。

■「仁徳天皇とかまどの煙」の逸話
以下ブログ、桜の花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの引用。

仁徳天皇は即位されて4年目、高台にのぼって見渡されました。
すると家々から炊事の煙が立上っておらず
国民は貧しい生活をしているのだと気づかれました。
そこで3年間年貢などを免除されました。
そのため天皇の着物や履物は破れてもそのままにし、宮殿が荒れ果ててもそのままにしていました。

そうして3年、気候も順調で国民は豊かになり、高台に立つと炊事の煙があちこちに上がっているのが見えました。
国民の生活は見違えるように豊かになりました。
それを見て天皇は喜ばれ「自分は、すでに富んだ」と言われました。

それを耳にされた皇后は
「私たちの住んでいる皇居の垣は崩れ、雨漏りもしているのに、どうして富んだといわれるのですか」と問われました。
すると天皇
「昔の聖王は国民の一人でも飢え寒がる者があるときは自分を顧みて自分を責めた。
今、国民が貧しいのは自分も貧しいのだ。
国民が富んでいるのは自分も富んでいるのだ。
未だかつて人民が富んで、君主が貧しいということはあるまい」と答えられました。(引用終り)

まさに「国民の暮らしが第一」、これを民主主義と言わずして何を民主主義というか。代々、京都の御所の塀は外国では考えられないほど低かったという。天皇と民の信頼関係を表わすものだろう。

権力者が国民を虫けらのごとく扱い、搾取の対象としか見てこなかった、いや、いまだに見ている国と日本は国柄が違うのだ。

■侍の気概
上に立つものが以上のような無私の心を持っていれば、おのずと下々の者にも影響を与える。

全然レベルが違うと思うが、山一証券が倒産した時、Nという社長が「部下は悪くありません」という涙の会見をした。マスコミは冷笑をもってこれを報じていたが、いわゆる飛バシで会社を倒産に追い込んだ一部役員を非難することなく、一般社員の行く末を案じたという意味では評価されるべきではなかったか、と個人的には思う。倒産前に株を売り抜けたエンロンの経営陣やリストラでGEをボロボロにしながら10億ドルの退職金をせしめたジャック・ウェルチよりいいのではないか。

実は自分の勤務していた会社の業績が落ち込み、希望退職を募ったことがある。希望退職とはいえ、実際は指名解雇に近いものだった。この首切りを陣頭指揮した人事課長は自分と同期の男だった。家族にも嫌がらせがあったが、彼はこの任務を粛々と果たした。この実績をもって更に出世できたし、それだけの実力もあったと思う。でも彼はリストラが終了すると同時に辞表を提出し、会社を去った。皆に辛い思いをさせたその責任をとる、ということだった。

今、自己保身と損得勘定だけで動く人は多い。自分の非は認めず、それを人のせいにする。首相でさえ「今の状況は全て自民党政権が悪かったからです」と言って平然としている。こういう人たちに「潔い出処進退」は望むべくもない。

人のことを考え、ある時は自己犠牲もいとわないのが侍の精神というものであって、それは陛下の大御心にも通じる、と思う。しかし、そういう気概を持つ日本人は何処に行ったのだろうか。


写真はパノム・ルン遺跡のものです。