チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

コラートのクメール遺跡 6

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コラートのクメール遺跡(6)

■ピマーイからコラートへ
旅行2日目の月曜は市内の仏塔跡を散策し、ピマーイから20キロほど離れたバーン・プラサートに先史時代の墳墓遺跡を見物に行った。昼前にピマーイに戻った。ガイドブックに紹介されていたピマーイの見所を1日半で全部回った。遺跡公園を再訪し、もう一泊するという選択もあったが、ピマーイと並ぶクメール遺跡、パノム・ルンに足を延ばさなくてはいけない。

前日の昼と同じく、ホテル前の食堂でタイそばを食べて、コラート行きのバスに乗った。ホテル代を含め、ピマーイでは1000Bも使わなかっただろう。金持日本人にしてはお金を落とさずに申し訳ない気持になる。

コラートはタイ東北部を代表する大都市で近郊の工業団地には日系企業も多く進出している。昨年のアユタヤ、バンコク辺りの洪水は記憶に新しい。コラートは海抜200-300mにあるため、ここに引っ越してくる日本企業も少なくないと聞く。

バスターミナルから市内中心、ジョムスランヤ通りに面したホテルへトゥクトゥクで直行。「巨大なナイトスポットの隣」というガイドブックの案内文に惹かれ、予約なしで投宿したのだが1泊660Bの値段はまずまずか。

■タオ・スラナーリー
ホテルの近くには大きなショッピングセンターやタイのジャンヌダルクと崇められているタオ・スラナーリー像広場がある。
1827年ヴィエンチャン王国のアヌウォンがバンコクに攻め入ろうとナコーンラーチャシーマーを通過した際、国主がバンコクにおり留守だった。副領主の妻ヤー・モー(タオ・スラナーリー)は機転を利かせ敵陣に潜入し、敵兵士たちを酔いつぶした。それに乗じてタイ軍はアヌウォン軍を敗走させ町を救った。ラマ3世はその功績を称えてタオ・スラナーリー(勇敢なる女性)の称号を与えた。ヤー・モーはタイ語で「モー婆ちゃん」の意味だが一般的な愛称なのだろう。像の前には香華灯燭の途切れることがない。

プーケットに行った時、剣を持った女性二人の銅像をみた。18世紀末、統治者の夫亡きあと、妻のチャン、その妹ムックが民衆を率い、ひと月にわたる激戦の末、ビルマ軍を撃退したという。この姉妹の勇気を称える銅像にも参拝客が絶えない。この姉妹も時の国王から「タオ・何とか」という称号を貰っている。

女性も武器をとって外敵と戦う。タイ女性の強さは歴史的な裏付けがあるようだ。

■まずはTATで情報収集
旅行3日目、この日はアンコール時代の名刹、パノム・ルンに行く日だ。まず、8時半、TAT(タイ観光庁)コラート事務所に情報収集へ。あまり英語が通じなかったが英文の小冊子や地図を貰えたし、パノム・ルンへの行き方もわかった。応対してくれた若い女性は、自分がタイ語でピマーイとかスリンと書きこむのを不思議そうに眺め、あっ、違う、と嬉しそうに間違いを指摘してくれた。いろいろ教えてもらったので、無理してタイ文字を書いた。喜んでもらって何より。

TATからバイタクでコラートの新バスターミナルへ。係員にパノム・ルンのパンフレットを見せてバスを聞く。スリン行きのバスで、タコ―というバスターミナルで降りるらしい。丁度、バスが出たばかりで、ターミナルで1時間近く次便のでるのを待つこととなった。

コラートはイサーンの北部、南部を結ぶ要衝の地であるから、バスターミナルの活気はチェンライの比ではない。せわしなく人が行ったり来たりする。10時前だがお腹がすいてきた。朝はお粥だった。乗降客でごった返すターミナル内の食堂で豚足ご飯を食べる。ちょこちょこ食事をするタイスタイルが身に付いてきたか。

■パノム・ルン行バス
バスは10時にコラートを出た。バスには車掌と思しき男性が3人乗っていた。それぞれにタコ―と言いながら切符とTATでもらったパノム・ルンのパンフレットを見せた。あとでコラートとタコ―は120キロ離れていて、バスで3時間ほどかかると知ったが、その時は1時間ほどで着くだろうなどと漠然と考えていた。

バスはあちこち停まりながら走る。あるターミナルではバスが停車すると数人のおじさん、おばさんが手に手に飴色の団扇を10本くらい手にして乗り込んできた。これは団扇ではなく竹串に伸ばしたガイヤーン(鶏の炙り焼き)だ。試しに一本購入。鶏の燻製か干し肉といった感じ。塩味が効いているから日持ちする。イサーンのお土産で買う人も多いようだ。

通り過ぎたのでは、と不安に思い始めた頃タコ―に着いた。車掌と運転手が降りて、集まってきたバイタクの運転手にこの人をパノム・ルンに連れていってやってくれ、と言っている。いつもながらこういったタイ人の小さな親切が嬉しい。(続く)


写真は上から「コラート市街」「タオ・スラナーリー像」「チャン、ムック像」