チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

亡父の影響

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亡父の影響

■楽しく暮らさなければ
父親は61歳で死んだ。その時、我々兄弟3人はもう就職していて特に後顧の憂いはない。これからは好きな日本酒を飲んでのんびり暮らしてもらいたいと思っていた矢先だった。生前、ある占い師から「死ぬまで現役で働く」というご託宣を受けて本人は喜んでいるようであったが、占いは現実のものとなった。

享年61歳は40年前でも「まだ若いのに」といえるだろう。自分が50になった頃、このまま父の年を越えるまで生きられるだろうか、と考えたものだ。考えてどうなるものでもないのだが、せめて61年以上は生きていたいと思っていた。今年、弟が「とうとう俺も親父の年を越えたよ」というメールを送ってきた。弟も自分と同じように61歳が一つのターゲットだったのだろう。

父が死んだ時、悲しかったかというとそれほどでもなかった。弟は泣いていたが自分は悲しいというより、働きづめだった父が可哀そうでならなかった。不謹慎かもしれないが父の死に顔を見て、「あー、こうなっちゃ人間おしまいだ。生きている内に美味しいもの食べて、いい女と付き合って、本も読み、酒を飲み、楽しく暮らさないと」と思ったものである。

■努力でできること、できないこと
その後、女性と付き合うには自分の努力では何ともならないことが分かった。相手にだって選ぶ権利はある。だから女性については早々と見切りをつけてしまったように思う。

旨いものや読書はまあ、お金を出し、努力をすればかなりの程度叶えられる。人格涵養にも知性向上にもほとんど影響はなかったが、読書はその時は面白かったし、何かためになるような気がしたのだから満足すべきだろう。本を読んでいなければ、その時間をもっとためにならないことに浪費していたに違いないのだから、よかったと思わざるを得ない。

旨いものは学生時代、母に連れられて行った築地市場が好きで、サラリーマンになってもバイクでよく通った。ウズベクから帰国してすぐ中古のバイクを買い求め、3日に一度は魚市場に行った。母の好物はアナゴだ。活きているアナゴを目の前で割いてもらい、帰ってすぐ酒とダシ、砂糖で煮た。
材料は一流料亭と同じもの、料理は自分の責任。これで大吟醸でもあればいうことはない。

60歳になって職につかず享楽的な生活を選んだのは早すぎる父の死と関係があるかもしれない。

■どうかお許しを
十数年前のロングステイクラブの会報に「私は税金も払わず、まだ働き続けている友人もいるのに、このように外国で楽をさせてもらっています。お国に対して申し訳なく思うのですが、40年働き続けてきたのですからどうかお許し下さい」といった文章があった。働かないのは後ろめたいことなのだろうか。

福沢諭吉先生も「世の中で一番寂しいことは、する仕事のない事です」と言っておられる。体が丈夫なうちは働くのが当たり前、定年を迎えた同僚はみんな働いている、家でゴロゴロされていては奥さんも世間体が悪い、それよりも働くことは刺激があって楽しい、お金だけが目的ではない、という人は多いと思う。
統計によると日本人男性の60-64歳の就業率は70%、65-69歳では50%となっている。日本にいる友人を見てもまだ、何らかの形で働いている人は少なくない。

それに引き換え、チェンライに暮らす友人を見ると、働いている人や働きたいと思っている人はほとんどいない。それどころかどうして早くこうした生活にはいらなかったのだろう、と悔やむほど現在の生活に満足している。もっとも満足度の低い人は帰国してしまって、満足度の高い人だけが残っているという結果かもしれない。

■自分を省みて
自分は60歳になったら働くのをやめようと思っていた変人であるから、もちろん今の生活に満足している。
かと言って、日本で働いている友人達に、もう仕事やめてこっちでのんびり暮らせよ、などという気はない。人それぞれだ。自分の満足のいくように生きるのは自分の自由であって、人に勧めるものでもましてや強制するものではない。

日本経済はダメだ、とマスコミはいうが、昨今の円高を見ればわかるように世界は日本経済を高く評価している。世界が羨む日本経済は勤勉な日本人によって支えられている。有難いことだ。

ギリシャやスペインの経済危機のニュースを見て、やはり人間働かなきゃ、怠けて国にタカって暮らすやつが多ければああなるのが当たり前だよ、などと呟きながらも自分を省みて、働き続ける日本の熟年諸兄にいくらか申し訳ない気持ちになるのである。


写真は先週土曜日、日本人会の遠足で行ったパヤオパヤオのお寺から。