チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ところ変われば・・・

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ところ変われば・・・

■蝶から少女へ
月刊「宝島」でタイ特集をだしたことがある。自分がタイに行きはじめた頃だからもう20年くらい前のことだ。タイの裏面を広く知る上でこの本は名著だったと思う。若いライターの突撃取材で構成されており、ユニークな切り口に好感を持って、何度も読み返した覚えがある。
ネットで調べてみると『別冊宝島WT タイ読本 絶対保存版!』1992年8月22日発行のようだ。

珍しい蝶を求めて、日本から来た蝶愛好家が北タイの山に入った。日も暮れて山岳民族の家に泊まることになった。簡素な夕食を終え、ふと上を見上げると萱ぶき屋根の一部が無くなっていて、星空が見える。家の主人はそれを見て、「もうすぐお金が入るから次に来た時には屋根は新しくなっているよ」という。よく聞くと娘をバンコクに売るのだという。部屋の隅に14、5歳の可愛らしい子が座っていた。
蝶愛好家は言った。「ちょっと待ちなさい、それ位のお金なら私が用立てますから娘さんをバンコクに売るのはやめて下さい」。

というわけで女の子はバンコクに売り飛ばされずにすんだが、そのままにしておくのも心配、というので彼は更にお金を出して、彼女に小さな荒物屋を村に開かせた。村では、あの子は日本人に買われたという了解が成り立った。彼は北タイに蝶採集に行くたびに彼女のもとを訪れるようになり、蝶採集が目的なのか彼女に会いに行くのが目的かわからなくなってしまった。

「宝島」に概略こんなコラムが載っていた。

■人の道に外れることが人助けに
人身売買は表向きないことになっているが、山岳民族や貧しいタイ人の家庭に美少女がいれば、4,5歳の頃から目をつけられる。母子家庭であれば、何かと援助をする。借金は増えて、娘が年頃になるころは身動きが取れなくなり、結果として娘は歓楽地で働くことになる。
「あの子は売られるねえ」、「ああ、そうなるねえ」という会話を聞いたことがある。タイ社会では珍しいことではないのだろう。

でも、「あの子はバンコクに売られていくのだけれど、彼女は前からあんたのことが好きで、バンコクには行きたくないといっている。この際、貰ってやってくれないだろうか」と親や村人に懇願された場合、バンコクに売られていくのが一番いいよ、と突き放せるか。

かくして情にほだされ、娘と一緒になり、その一族を養うはめに陥るということは充分ありうる。タイで女性と暮らすということは女性の一族の面倒を合わせて見るということでもある。ここが日本の年の差カップル、加藤茶石田純一と違うところだ(多分)。

タイで事業を興す場合、3人以上の現地人雇用が求められると聞くが、一緒になれば奥さんの一族郎党、場合によっては村人の生活の面倒まで見ることになるわけで、社会開発という意味では起業よりもNGO援助よりも援助効率は高い。

熟年男性が30も40も年の離れた女性と一緒に暮らすのは、まあ日本の良識から見て「人の道に外れる」ことになるのかもしれない。
しかし、人の道に外れることが多くの貧困なタイ人の生活を向上させ、子供に就学機会を提供する。これは人助けとなるばかりでなく、日本からタイへの所得移転を促してタイの経済発展に寄与する、と経済学的には言える。

■法と慣習(常識)
年の離れたカップルは法律的に問題があるかというと日本でもタイでも全くない。しかし日本の常識に照らしてみればやはり特異なことになるのだろう。だから芸能人の年の差カップルが日本ではニュースになる。しかし、年の差カップルはタイの常識では全く問題はないように思える。

中国ではお父さんが60歳の還暦を迎えると、子供たちが20歳前後の若いメイドを贈るという慣習があるそうだ。「お父さん、これからも若い子を(夜伽の)相手にしてお健やかにお過ごしください」。
この様な親思いの子供が自分にもいないものか、と思うが、この辺り、国や民族によって考え方が違う。日本の文化、慣習、常識もタイのそれはもちろん違う。立脚点の違う者同士が許す、許せん、と糾弾しあうのはあまり意味がないように思う。

年の差カップルは人が羨むほどいいものではなく、それなりに苦労があるようだ。メーサイの中国人富豪タオさん(54歳)は19歳のタイ美人と結婚したが、2週間もしないうちに嫁さんに逃げられてしまった。こういった話は邦人の間でも枚挙にいとまがない。

年の差カップルはチェンライでも珍しくはないが、とりあえず、本人同士がそれでいいと言っているのだから、関係のない第三者があれこれ言うべきではないだろう。ま、暖かく見守って頂きたい。

写真は家の近くに咲いた花。