ナーン小旅行(3)
■ ナーンは広い
県庁所在池、ナーン市は人口約8万、ここにナーン王国の都があったので、1091号、1080号、1169号、1168号、101号線といった主要道路の集結地点となっている。
南北を流れるナーン川の西側に3本、大きな道路が走っている。銀行や商店の並ぶ繁華街でも走行する車は少なく、何処でもUターンできる。1キロも行かないうちに商店や家屋が途切れてきて、あ、これで街外れ、と逆戻りする。行ったり来たりするうちに道を覚え、街の大きさの感覚をつかむことができた。博物館や主要な建造物の案内板が英文併記で出ているので大変便利。観光名所ワット・プーミン、国立博物館、ワット・プラタート・チャーン・カム・ウェラウィーハン、ワット・スワンターンなどは歩いて回れる範囲だ。
人口8万の市というと東京では東大和市、狛江市あたりであるが、人口密度はそれぞれ6千人、1万2千人だ。それに引き換えナーン市の人口密度は100人にすぎない。
ナーン県自体の面積は11,472㎢、東京都(2,187㎢)の約5倍の広さを持つ。県の人口は約45万人というから人口密度は1㎢あたり40人。47都道府県のうち、最も人口密度の低いのは北海道で70人だが、日本より広い国土を持つタイでもナーン県は下から4番目の過疎県である。
■ナーンの塩
朝、ホテルから歩いて5分ほどの市場に行く。
何処の市場にもその近くに食堂がある。混んでいる店に入る。提供される料理はカオトゥム(お粥)のみ、ひと抱えはあるお鍋のお粥が無くなると別の鍋が奥から出てくる。籠の卵を別注文したが、これは生卵でなくピータンだった。熱いお粥に塩味のきいたピータンが何ともいえずよく合う。フーフーと食べ終わって30B.
朝食を終えて、ワット・プーミン向いの観光センターに行く。このあたりに市の見どころが集まっているのでセンタ-を観光の出発点とするとよい、と本に書いてある。センター併設の喫茶店で珈琲を飲みながら、貰った観光地図を広げる。
ナーンで行ってみたいところがあった。それはボークルア、ボーは井戸、クルアは塩の意味だ。ラオス国境に近いボークルアという村に黒い塩水の出る井戸があり、今でも塩を生産している。塩は市販の精製塩とは違い、ほのかな甘みがあり、どんな料理に使っても味が引き立つという。
北タイ、ラオス、雲南は海から遠く、塩は貴重な交易物資であった。ランナー王国時代には国を越えて塩資源の争奪戦が行われたらしい。ボークルアは東南アジアのアルザス・ロレーヌみたいなものか。
北タイは太古の昔、海の底であったから塩が出てもおかしくはないが、岩塩でなく塩の井戸というのは珍しい。どうやって塩を生産しているのかも気になる。
地図を持ってセンターの係員にボークルアの行き方を聞いた。車で片道3時間かかるという。ナーンが山国でやたらと広いことを再認識。塩見物だけで1日かかってしまう。翌日に帰宅予定だったので、今回はボークルア行きをあきらめて市内観光に徹することに決めた。
土産にしようと思っていた塩はOTOP(一村一品運動の店)で買えるらしい。
■ナーン国立博物館
観光センターの筋向いが博物館だ。広い庭園の中に白い2階建の瀟洒な建物が見える。この建物はナーン国主プラチャオ=スリヤポンパリットデートの御殿として1903年に建てられた。1931年に領主制が廃止された後、ナーン県庁として使われたが、県庁舎移転に伴い、1974年にナーン国立博物館として改修された。予算の関係で博物館として正式にオープンしたのは1987年のことという。
入り口でお寺の本堂と同じく、履物を脱ぐ。ラオスのルアンプラバンの旧王宮は博物館になっていたが、そこでも靴を脱いで入館したことを思い出した。
一階の玄関ホールに受付があり、ここでチケットを買う。入場料は英文で100Bとなっていたが、運転免許証を見せるとタイ人価格20Bになった。朝から大変幸せな気分になる。ホールでは民芸品、研究書などが購入できる。一階では主としてナーン県に居住する北タイ民族およびその生活・習俗についての展示が行われている。
二階展示室は、大広間ではナーン県の地理学、南北の部屋では考古学、歴史学に関する展示をしている。ナーン朝で代々王朝を象徴する『黒象牙』を見ることができる。また、ナーンの13世紀から20世紀までの仏像の変遷を示す展示があった。タイの仏像というと何処の仏さんも金ピカで没個性、変わり映えしないと思っていたが、時代により、表情や形に違いがある。日本の仏像のように洗練されてはいないし、仏師の名前もわからないが、素朴な仏像の数々にナーンの人々の厚い信仰心を感じた。
写真はナーン国立博物館です