チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

アカの食事

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アカの食事

■ハレの日は肉三昧
アカ族の食事ではご飯、スープ、生野菜(湯通しされていることもある)、肉の炒め物、茹で肉などが膳に並べられる。グラスにラオカオを注ぎ、簡単なお祈りをしてからこれを飲み干す。それから食事が始まる。原則、食卓につくのは男ばかり、茶碗のご飯が少なくなれば、わんこそばよろしく給仕の女性が後ろから足してくれる。おかずも少なくなれば台所から追加が来て食卓の皿やどんぶりが一杯になる。
アカの食事は、韓国の宮廷料理と同じように料理が足りなくなればすぐ追加補充される。

これはお客にお腹一杯食べてもらうというホスピタリティの表れだ。アカの食事では、出されたものを全部食べてしまうのは接待者側に恥をかかせることになる。用意された料理が少なかった、という意思表示になるからだ。また、客と男達が食べたあと、残りを女子供が食べることになっているから、大食漢の客が来たら彼女達の食べるものがなくなる。客も残すのが礼儀。

アカ族は決して裕福ではない。アカの村に入った外国人が、人々が歓待してくれることをいいことに、アカのなけなしの鶏や豚を喰いつくしてしまった、という話を聞いたことがある。日頃、アカは冠婚葬祭、ハレの日は別にして高級食材である肉や鶏を食べない。

アトゥのお父さんの葬儀では毎日、水牛や豚の肉が供された。村の人たちにとっては美味しいものが食べられるチャンスであっただろう。

■アカの食事は美味しいか
アカの料理はうまいよな、とイタリア人ジャーナリスト、レイモンドが言う。ウーン、でもチーズもオリーブオイルもないんだよ、というのが自分の答え。肉や臓物は新鮮だし、骨を長時間煮出したスープは確かに美味しい。野菜もさっきまで庭に生えていた無農薬野菜であるから甘さが違う。
1日か2日程度の滞在であれば、アカの食事は悪くない、ということになるだろう。アカ料理は他の山岳民族の料理に比べて美味しいという人は多い。

しかし、アカの料理の味付けは基本的に塩である。あとは唐辛子だけ。味噌、醤油、ダシの素、マヨネーズ、ドレッシングなどの調味料は一切ない。塩味だけだから、食材そのものが持つ味が分かるともいえるが、とにかく味付けが単調である。和食や洋食が華麗な大和絵や油絵としたら、アカの食事はモノトーンの墨絵である。

チェンマイやチェンライの山岳民族料理店といえば、チェンマイにシャン料理のレストランが1,2軒あったように思うが、アカ、リス、ラフ等の山岳民族料理店は寡聞にして知らない。もしそういう店を出してもすぐ潰れると思う。リピーターが期待できない。

■アカ村移住計画
将来、アカの村に住んでアカ語を覚え、民俗学者の真似ごとをして暮らしたい、という夢を持っている。10年前、初めて訪れたアカの村で美味しいラオカオで歓待され、その後いくつかアカに関するレポートや本を読んだことからアカの文化に興味がある。

母のおかげで思いのほか早くにチェンライに住むことになり、その夢の実現に近づいてきたように思う。チェンライのメーファールン大学、またチェンマイ大学の図書館には山岳民族について書かれた膨大なレポートがあり、自分のような一般人でも容易にアクセスできることもわかってきた。
アカ族の暮らしに興味を持つ人のネットワークと言うか、知り合いも少しずつではあるが増えてきている。

ラオカオを飲みながらあやしげなアカ語を操る生活も悪くないと思っていたが、これを阻む障害が食事だ。実はうすうすアカ料理の単調な味付けや食材の少なさには気づいていた。またインターネットが使えない、村によってはまだ電気が来ていないという不便さを考慮して、ひと月のうち20日は山、10日はチェンライ市内に居住という計画にしていた。
しかし20日間もあの食事で辛抱できるか。あの食事、と言ってもアカ族の生活の中では「御馳走」の部類に属する。

■将来予想
よくアフリカでチンパンジーやゴリラの生態を何カ月にもわたって観察している学者がいるが彼らは何を食べているのだろう。予算が豊富であるとは思えないから現地食主体であろう。アフリカでは玉蜀黍の粉をお湯で溶いたウガリと言うお粥を常食としている。朝昼晩三食これを食べている海外協力隊員もいる。崇高な使命感を持つ若い人ならば、2年や3年、食べ物に不満を言わずに頑張れるだろう。

だが、こちらは知力、体力衰えた老残の身、せめて食べる楽しみくらいは残しておきたいと思う。でもそのうち食べる楽しみも失せ、アカのラオカオに耽溺する暮らしになるのだろう。それも悪くないか。

写真はアカ族の子供達と食事風景。